2015年04月30日 00:05
http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/live/1396871892/
今までにあった修羅場を語れ
- 515 :名無しさん@おーぷん : 2015/04/29(水)13:17:21
- 修羅場とは違うかもしれませんが。
私の父と私は血のつながりはない。血縁上の父親は私が生まれてすぐ出ていったそうだ。
だから顔も名前も知らない。
私が2歳か3歳かの時に母が再婚して今の父と一緒に住んでいた。
そしてすぐに弟も生まれて何不自由なく父と血が繋がっていないことを除けば
ごくごく平凡な家庭だった。
小学校1年の時母が突然いなくなった。
学校から帰ると母がいなかった。弟の幼稚園お迎えに行っていると思って
テレビ見ながら待ってたが1時間たっても帰ってこない。
幼稚園から電話が来て「お母さんは?」と聞かれて「家にいない」と答えた。
さすがに不安になり母の実家(車で10分くらいの距離)に電話すると
おばあちゃんがすぐに弟を迎えに行って、弟と家に来た。
おばあちゃんは家に来てテーブルの上にお母さんからの置手紙をみつけ、
おばあちゃんが父やおじいちゃんに連絡をしたらしく
おじいちゃんやおじさん、父も仕事を切り上げ帰ってきた。
父は青ざめていたが、不安な顔をしている私と弟に気づいて
「大丈夫だよ、でも、お母さんしばらく家に帰ってこれないみたい」と言ってくれた。
- 516 :515 : 2015/04/29(水)13:22:04
- 「しばらくってどのくらい?どこにいったの?」と聞きたかったが
子供から見てもみんな混乱していたので聞けなかった。
結局母は帰って来ず、私たち兄弟はそれから1カ月位、私と弟は母の実家に預けられた。
このまま父もいなくなるのではと不安だったが父は毎日必ず顔を見に来てくれた。
父や祖父母、おじさんも母を探している様子で、毎日どこかに電話したり出かけたりしていた。
お母さんはいつ帰ってくるか。誰に聞いても明確な答えは返ってこなかった。
1カ月くらいが過ぎて母が帰らないまま私たちは家に戻った。
久々に帰った家は、前と何も変わっていない1か月前に家を出た時のままだったが、
母がいない事が実感してしまい弟と大泣きしてしまった。
私たち2人を抱きしめて「お父さんがいるから大丈夫」といった。
「お母さんは帰ってこないの?」と泣きじゃくりながら聞いたが父は何も答えなかった。
それから父は朝、早く起きて朝食を作り私と弟に食べさせて弟を幼稚園に送り仕事へ、
幼稚園のお迎えは主におばあちゃんがしてくれて
そのまま家で私を弟の面倒をみて夕食を作り食べて、
父が帰ったらおばあちゃんは帰るというパターンになった。
母がいなくなってさみしい思いをしているだろうと察しているのか
おじいちゃんや、おじさんもよく遊びに来てくれた。 - 517 :515 : 2015/04/29(水)13:25:36
- 弟が幼稚園を卒業して弟を迎えに行く必要が無くなっても
おばあちゃんはしょっちゅう家にご飯を作りに来てくれていたが
父もおばあちゃんばかりに負担はかけられないと考えてか早く帰ってきて料理をするときもあった。
父の料理は正直あまりうまくなかったが気を使って「おいしいよ」と言っていた。
でも母の料理を思い出しさびしくなった。
小学校は父兄が協力が必要な行事がたくさんあったが父はいつも参加してくれた。
どうしてもこれない時はおじいちゃんが来てくれた。
基本給食だったが遠足や部活の試合の時なんかは朝早く起きてお弁当を作って送り出してくれた。
父は1人で父と母の役目をこなしていた。子供から見ても大変なのが分かったので
あまりわがままは言わず困らせたことも少なかったと思う。
何度か父に母について聞いたこともあったが父は答えに困っていた。
小学校高学年にもなると母のことを話題にすることも無くなった。
というか何となく触れてはいけないことのようになっていった。
でもやっぱり内心は気になっていて死んだのか?とも思ったが葬式はしていない。
何か悪い事をして(交通事故とか)刑務所にいるんじゃないか?
とかいろいろ考えてはみたものの、父と母はけんかして母が怒って出ていったのだと結論をだした。
それ以外思いつかなかった。
そして中学生にもなるとだんだん母はもう帰ってこないと思うようなって、
母のことが気になることも無くなった。 - 518 :515 : 2015/04/29(水)13:30:30
- 中学2年か3年かは忘れたが進路での3者面談の時
自分は就職をして定時制の高校に通うことを希望した。父に負担をかけたくなかったからだ。
父には本当に感謝していた。本当の親でないのになぜ本当の子供のようにできるのか。
すごいと思い、尊敬し父のようになりたいと思った。だからこその決断だった。
私は父にそのことを伝えた。いつも落ち着いている父が珍しく声を荒げて
「本当の親ってなんだ?お前の前のお父さんや、お母さんはお前たちのことを捨てた。
そんな奴が本当の親って言えるのか?
本当の親ってのは自分の事より子供の事を考える人間のことだ。血のつながりなんか関係ない。」
自分の母や前の父親が自分の事を捨てたってのは薄々気づいていたが
ただ断言されてしまうとショックだった。
でもそれよりも父が私の事を「本当の子」だと言ってくれたことがうれしかった。
「お前の気持ちはうれしいが、感謝してくれているならお前が本当に進みたい道に進んでほしい。」
気づいたら私は泣いていた。「ありがとう」と言いたかったが照れ臭くて言えなかった。
父も先生も泣いていた。帰り際先生が「素晴らしいお父さんだ。大事にしなさい」と言ってくれた。
私は普通の高校へ進路を決めて猛勉強した。その結果、割と頭のいい進学校に合格できた。
卒業式は父が仕事を休んで来てくれた。父は泣いていた。
その夜、父は私の部屋に来た。
「お前も中学卒業か、早いもんだな。
高校生でも大人とは言えないが自分の事は自分で決めてもいい頃だろう」
父が何が言いたいかわからず頭の中は「??」だった。そしてすこし間があった。
「お母さんとあってみるか?」
「え?居場所知ってるの?」
父は母の居場所を知っていた。私が会うつもりなら連絡をとるという。
「会う」私はすぐにそういった。 - 519 :515 : 2015/04/29(水)13:48:27
- 父は弟にも話をした。最初弟は今さらあっても。。。という感じであまり乗り気でない感じだったが
「今会っておかないと絶対後悔する」と(根拠はないが)説得した。
2,3日後に弟と私で国道沿いのファミレスで母に会う事になった。
会うまでの間、いろんなことを考え、混乱した。なぜ出ていったのか、
私たちをどう思っているのか、今何をしているのか、聞きたいことは山ほどある。
でもそれを聞いていいのか、聞いたところで何になるのか。それならば会わない方かいいのか。
一番聞きたかったのは私たちを捨てた理由はやむを得ない事情があったのではないか?
それを母の口から聞きたい。ということだった。
会う当日は夕方から会う事になっていた。春休みで受験も終わっていたので
普段は昼まで寝ていたが8時には目が覚めて一日中そわそわしていた。
弟は部活に行ってた。「あと数時間でお母さんと会う、数時間後私たちは何を話しているんだろう」
そればかり考えていた。
弟が帰ってきて二人で自転車でファミレスまで行った。
ファミレスの店内に入ると店員の「何名様ですか?」より先に母が手を振っていた。
母の席に着く。母は自分の記憶の母よりかなり老けておばさんになっていたが、
遠い昔の記憶の片隅に残っていた母だった。
母を直視できず、10秒位間があった。何を話せばいいのか分らなかった。
「久しぶり」それが10年振りの最初の母の言葉だった。 - 520 :515 : 2015/04/29(水)14:12:14
- 母はいろんなことを聞いてきた。最初は緊張のため母からの質問に答えていただけだったが
少しづつ段々自分から話が出来るようになった。
学校の事、友達の事、進学の事、小学校のころ鉄棒にぶつかってでっかいたんこぶを作ったこと、
部活でもう少しで全国大会に行けなかったこと。
いつの間にか止まらなくなっていた。聞いてほしい事がどんどん出てきた。
母はニコニコ聞いてくれていた。
あまりに私がしゃべってばっかりいるので弟が「自分ばっかしゃべりすぎだよ」と諭された。
私は母がいなくて寂しかったことはない。と自分で思っていた。
でも母と話していると私は母に聞いてほしかったことが止まらなかった。
きっと母がいなくてさみしかった。
母に会いたかったが自分の気持ちを押し殺していただけだったと気付いた。
楽しかった。あっと言う間に時間が過ぎて、窓の外はすっかり暗くなっていた。
先日買ってもらったばかりのPHSが鳴った。父からだった。
父は「久々なんだからまだ話しててもいい」と言っていたが母はあまり遅くなっても危ないからと
その日の面会は終了となった。
最後に母は「自分勝手な母のせいで苦労掛けたと思います。本当にごめんなさい。
本当に身勝手なお願いだけどたまにでいいから今日みたいに会いたい」母は泣いていた。
私も弟も二つ返事で了承した。
「私子、弟男、今日は本当に本当にありがとう。優しい子に育ってくれてうれしい。」
「お父さんに感謝だね」
しきりにそう言っていた。私たちがお父さんに感謝しなさいという意味なのか、
それとも、母自身が父に感謝しているという意味なのか分からなかったが、多分両方の意味だろう。
帰り道、母はちゃんといて私たちの事を気にかけていてくれた。
これからは母と話が出来る。そう思うと嬉しくてたまらなかった。
一番聞きたいと思っていた、母が出ていった理由などどうでもよくなっていた。 - 521 :515 : 2015/04/29(水)14:21:06
- 家に帰り父に今日のことを報告した。
嬉しかった、楽しかった。興奮気味に話す私たちの話を優しく聞いてくれた。
「もうお母さんとは暮らせないの?」
深く考えずに言ってしまい、まずい事聞いてしまったと思った。
父は少し暗い顔をした。
父「2人は母さんと暮らしたいか?」
私&弟「うん」
父「母さんが出ていった理由は聞いたか?」
私「聞けなかった。」
それでその話題は終わってしまった。
数日後「ちょっとついてこい」と私たち兄弟を連れ出した。
席が個室になっているレストランだった。母が店の前で待っていた。
何が始まるのか何となくわかった。
父「2人に今までの経緯を全て説明する。そのうえで自分たちがどうしたいか決めてほしい。」 - 522 :515 : 2015/04/29(水)14:31:17
- 母は覚悟を決めたように話し始めた。
前の夫(私の血縁上の父)とは結婚する前から働かずパチンコばっかりして
金が無くなると金の無心ばかりしていた、私子を妊娠したので結婚したので
これを期に働いてくれるかと期待したがダメだった。母の貯金を食いつぶして出ていった。
私子を一人で育てる覚悟をして実家に帰った。でもまだ前の夫に未練があった。
もしかしたら心を入れ替えてやり直したいって言ってくるんじゃないかって思ってた。
でも1年待っても2年待っても前の夫から連絡は無かった。
地元に帰ると地元の友達が心配して様子を見に来てくれた。その一人がお父さんだった。
お父さんはしょっちゅう遊びに来てくれて、沈んでいた母を私子と連れ出してくれたり、
面倒も見てくれたりしてくれた。前の夫の事も相談していた。
私が2歳の時に父は母に「お前も、私子もまとめて幸せにしてやる」とプロポーズして二人は結婚した。
程なくして弟男を妊娠⇒誕生となる。
それから3年程経って突然、前夫が母に連絡をしてきた。前夫は母に復縁を迫った。
前夫への気持ちが蘇り、そのまま不倫関係になってしまった。不倫関係は半年近く続いた。
前夫は父とは離婚して母と再婚しよう、言って来た。子供たちは父に任せればいいと。
母は前夫に気持ちがあったが家族を捨てる決断は出来なかった。
そんな母にしびれを切らし前夫は父と子供がいないすきを見計らい半ば強引に母を連れ出した。
私子と弟男が気がかりだったが父は子煩悩で優しい人だから自分がいなくても
ちゃんと育ててくれると思い、そのまま家出をした。 - 523 :515 : 2015/04/29(水)14:36:11
- 前夫は「しばらくしたら、父に離婚の話をしに行こう」と言っていたが、
家出して1週間位で父と母の父が興信所を使って母の居場所を突き止めて、
前夫の部屋に乗り込んできた。興信所で調べたため一緒にいる男が前夫だということも知っていた。
父は怒り泣いていた。
「子供たちを捨てたのか?」
父の顔を見たら何も返事が出来なかった。
母父からは絶縁を言い渡された。
この時やっと母は自分のやったことの重大さに気付いた。しかしもう取り返しが付かなかった。
気がつくと私は母を睨みつけていた。母が気持ち悪い人間に見えた。
「キモい。っさいってい、あんたお父さんの気持ち考えたの?
どんだけ苦労したかわかってんの!?」私はそう言って席を立った。
目まいがして真っすぐ歩けず駐車場で吐いてしまった。
父はすぐに追いかけてきて、私の嘔吐が一段落すると「今日は帰ろう」といって、
弟を連れてきて、母の所には戻らず帰った。
男を作って出ていった事は可能性として考えてはいたが
よりにも寄って私を捨てた前父だったことがショックだった。
父より前父を選んだ母が許せなかった。
2,3日後、私は父に「母を許すことはできない。母にそう伝えて欲しい」と言った。
父は「母の話はまだ途中だ。許す、許さないは全てを知ってから判断しなさい。
母と会うのが嫌なら俺から説明する。」
私は母に会う気にはなれず弟も呼んで父からその後の話を聞くことにした。 - 524 :名無しさん@おーぷん : 2015/04/29(水)14:36:15
- お母さん、自分に都合よく話しているね
紫煙 - 525 :515 : 2015/04/29(水)14:43:30
- 読んでくれてる人がいますね!紫煙感謝です
では続き
夫と母の部屋に乗り込んだ後日、改めて話し合いの場が設けられて父が出した条件は
「慰謝料の請求はしない。その代わり親権は絶対に譲らない。面会も一切なし。実家からも絶縁。
もし、親権を望む場合は(多額の)慰謝料を請求する。」というものだった。母は混乱。
そんな母をよそに前夫はその条件を飲んで示談が成立してしまった。
「せめて面会だけも」と懇願したが
父は「お前はもうあの子たちの親じゃない。」といって取り合わなかった。
前夫は「一人は俺の子じゃないんだし、子供なんてまた作ればいいじゃないか」と言っていた。
父はこんな男に親権を取られなくて本当に良かったと安堵した。
母は元夫とは再婚せず、元夫のもとを去った。
1人で地元を離れて部屋を借りてアルバイトで生活をした。
私たちに会いたくて、父とやり直したくて謝罪の手紙を送ったが
父は封を切らない状態で送り返した。それでも何度も何度も手紙が来た。
あまりにもよく届くので、父は「子供たちが気づいてしまうので
手紙を書くなら職場宛にしてほしい事、
一度でも子を捨てた人間を親として家庭に戻らせることは出来ない事。
子供たちの写真だけはたまに送る」という事を書いて返信した。
そして母はたまに届く私たちの写真だけを楽しみに今まで生きてきた。
話を最後まで聞いても私は許す気にはならなかった。
「自業自得だよ。」と呟いた。
すると弟がノートを手渡してきた。「姉ちゃんが吐いてるときにお母さんから預かった。」 - 526 :515 : 2015/04/29(水)15:07:03
- ノートは5冊有った。そのノートは母の日記だった。
「いつか私子と弟男がこの日記を見てくれると信じて」という文章から始まっていた。
母が前夫の元を出た日から始まっていた。約10年毎日欠かさず書いてあった。
最初の方は謝罪と後悔、ばかりだった。
「まだ悪い夢を見ているんじゃないかと思う。でも朝目が覚めると家族はない。
これが現実なんだと実感する。夫と子供を裏切った自分が悪い。」
「弟男と同じぐらいの男の子を連れた家族がスーパーで楽しそうに買い物していた。
私は家族がみんなで買い物に行くとかそんな日常的なことが実は最高の幸せなんだと気付かなかった。」
とか。段々と苦しいながらも現実を受け入れて生活をしている様子が見て取れた。
その後も必ず私たち姉弟の事が書いてあった。
「弟男!入学おめでとう。たくさんお友達を作って、たくさん遊んで、勉強も頑張ってね。
学校に行く時は車に気をつけて。ランドセルを背負った姿が見たかった。」
「私子、弟男、あけましておめでとう、どんなお正月を過ごしていいるかな。
今年が2人にとって素晴らしい1年になりますように。」
「二人の写真が届いた!弟男は少し大人っぽくなったかな。声変りもそろそろ?
私子は前髪があった方がかわいい!どんな生活をしてるんだろう。知りたい。すごく会いたい」
意外な事実も書いてあった。
弟のランドセルをはじめ誕生日やクリスマスには母は私たちにプレゼントを送っていた。
そのプレゼントは父方の祖父母からということで私たちに渡されていた。
ゆっくり丁寧に母の気持ちを考えながら読んだ。母過ごした10年間を全部受け止めたかった。
全部読むのに3日かかった。
読み終わるとすごく母に会いたくなった。 - 527 :515 : 2015/04/29(水)15:18:20
- 私は弟と父に「母を許してまた一緒に暮らしたい。」事を伝えた。
父は真剣な顔で「誰かを許すという事は、
今後絶対にその事を持ち出して責立てたり、非難してはいけない。それが出来るか?」
私と弟は「出来る」と答えた。
父はニヤッと笑い。「じゃーいこう!」
「え?今から?」
「こういうのは早い方がいいんだ」
3人で車で母の部屋に向かった。修学旅行の前の様なウキウキした気分だった。
母の部屋はとなりの市だった。
母は突然の訪問に驚いていた。
「どうしたの?とりあえず入って」
「いや、ここでいい。確認したいことがある。」
父は私たちを見てから、母の顔をみてゆっくりと
「お前は母として自分を犠牲にしてでもこの子達を守る覚悟があるか?」
母は私たちそれぞれの顔を見つめて
「あります。自分の命に変えても守りgyふじこ!」エグエグしていて最後の方は言えてなかった。 - 528 :515 : 2015/04/29(水)15:20:23
- 父は私たちを見て
「家族は1日でなれるもんじゃない。
お互いを思いやって毎日少しずつ家族になっていくんだ。それが出来るか?」
私は深く頷いた。
父はもう一度母の方を向き優しく
「帰ろう」
と言った。
私は母に手を伸ばして
「家に帰ろう、お母さん」と言った。
私は弟に「あんたもやれ」と目配せして弟も母に手を伸ばした。
母は私たちと手をつないだまま号泣した。私は母を抱きしめた。
母はなんか言ってたけど、全然聞き取れなかった。それでも「うん、うん」と返事をした。
私たちは家に帰った。母は家に帰ってもずーっと泣いていた。
その夜はリビングに布団をひいてみんなで寝た。
布団に入って母といろんな話をした。
「私子も弟も本当に優しい。」母は言った。
「お父さんに似たんだよ、親子だから」私は言った。
「家族みんな一緒にいる。これって奇跡なんだね。」母は言った。
4人家族に戻り私は高校生になった。母はいつも幸せそうだった。
それから10年以上たち私はもうすぐ母になる。親になる決意を忘れないためこれをまとめました。 - 531 :名無しさん@おーぷん : 2015/04/29(水)15:48:08
- >>528
泣いた(´;ω;`)
元気な赤ちゃんが生まれる事祈ってます
コメント
なんだろうねぇ
細かく長く頑張って書いたのはわかるんだけど、いまいち響かないの
人物の心の動きとか、ちょっと無理があるように思いました
次回作に期待
良い話だけど、なんかやだわ。
最後が大円満過ぎるからかな?
途中からオリジナルが入ってるから努力賞を
昔あった応募漫画の論評風に言えば
「文章は書き慣れた感じでスムーズです。もう少し読者の共感を呼ぶキャラクター作りを意識しましょう。」
菩薩のようなお父さんがいたからこそまわってるのにそんなことよりって感じで
最後裏切った母親の罪が許された!って話が焦点になりすぎて
なんかいまいちよかったねってならない
主人公の手のひらコロコロにワロタw
お母さんもキャラクターブレ過ぎw
ご懐妊おめでとうございます。
起承転結を軸として、よくまとめてありますが
主人公の母親に対する感情が、ゼロか100かと極端に変化する場面を繰り返しすぎで
読者が主人公に感情移入しにくい展開となっています。
弟をキーパーソンとして動かしてみると、変化のある物語になったかもしれません。
なんでコメ欄、書評みたいになってるん?w
これこそ創作でしょう
※9
演出過剰過ぎてさすがにマジレスが難しいから、なんとか違う利用方法で楽しもうとした結果かな
ああ、うん
なんか何も響かないかな
あまりに主人公があっちにブレこっちにブレ
出てくる登場人物、祖父母以外はバカじゃあないのか?って思う
さすがに長すぎる
無駄な小説的描写で尺取ってるけど、あんまり人自体が描けてないって感じ
オープンだし
12点。
※欄が珍しく創作で満場一致してて笑った
話が出来過ぎてるから、創作かなって思うよね
素人が想いのまま吐き出したもんだから許してやれよ
下書きは必要だと思うけど
こんなとりとめのない内容で創作なら逆に文才があるけどそれはないだろうなあ
ぶれてるって言うけど、人の気持ちってそんなもんじゃないかと思う。
まだ投稿者も若かったんだし、その場の感情で色々な気持ちが出て、
そしてそれを素直に表現して行動したんだろう。
許したいが許したくない。愛情は欲しいが会いたくない。
あることじゃないか。
ブレてるの主人公だけじゃないんだよね
よく考えたらみんなクルクルとキャラクターが変わってる
人生色々、良い事悪い事体験して本当に大切な物が何かと気付くのも生きる理由の一つ。
許すということは最も難しい事と思う。
この父親は本当に凄い。
許した子供達も凄い。
くっさ!
※20
わかるんだけど、創作なんだからその辺りをぶれさせたら面白くなくなるのがわからないとかってこと。
なんで夫である父親じゃなくて娘が母ちゃんの進退を決めてるんだろーと不思議だった
父ちゃんは娘が嫌だってままだったらそれはそれで良かったのか
泣く要素あるか?
最後、いつノートを引き裂くのか愉しみにしてたのに…
登場人部の大半がアスペなのでアスペの論理に釈然としないんだと思う
実父は言うまでもなく、母親、スレ主が道義や倫理を度外視してその場の感情で行動してる
寛容で理路整然と道義を説くわりにやられたい放題の養父の言動を不可解と考えず一切の説明をしないのもスレ主がアスペであることを象徴していると思う
結末ワロタ
繰り返される手のひら返しっぷりが中学生女子っぽくて逆にリアルだったよ、うん
でも心変わりの理由が分かりやすくて個人的には良い話だと思います
途中まではよく書けてたのに急にズサンにならないでー!っておもた
養父さん、貧乏くじ引き受け過ぎだろ
脇役なので
よかった ̄
読んでて「全然響かねぇ!もしかして自分って冷血?」とか思ってたけど、※欄読んで安心した
特に日記のくだり
あらかじめ読ませる事を前提に書いた物を、ここぞとばかりにドヤァ!!と渡してくるのに感動!!とか、チョロすぎる
弟の心理状態も軽視されすぎというか…
話に都合良く動かされているようにしか見えないなあ
報告者と同じく、幼い頃に母に出て行かれた者としては、
こんな風に家族がまた一緒に暮らせたら良かったなぁと思えて、
ちょっと泣けたよ。次回作がんばって。
そして、もしも本当のことならば、報告者さん、どうかお幸せに。
お母さんを孫の世話で使いまくってあげなさい(笑)。
すまん全然感動できんかった
ただの股緩クソババァを許す時点でないわ
曲がりなりにも子供を一度捨ててるような女だしその後の苦労(笑)もただの自業自得だしお父さんの苦労に比べればたいした事はないな
ただただ浮気女に都合のいいだけの話だわ
まあ女が想像で書いたんだろうなぁってのがありありだわ
養父の気持ちが完全に殺されちるからな
養父は神様か感情がないかのどちらかだな(笑)
不倫して自分と子供を捨てて出ていった女をこんなにアッサリ許すわけないだろバーカ!(笑)
女の想像ってこういう所がスポーンと抜けてるからリアリティーがないんだよな
※38
全然感動は出来なかったけど
うちの父親は嫁を裏切って離婚しないまま
4人と事実婚して4人とも子供産ませたけど最後は
正妻のところに戻って今も一緒に暮らしてるから
そういうこともあるんじゃねと思う
ちなみにこの「事実婚」は「義実家や親戚との付き合いもある
実際に嫁のように扱われた」レベルで
愛人たちは正妻の子供たちとも面識があるし一緒に働いてた
時期もある。義理の母とは呼ばせてなかったけど姉さんって
感じで身内として扱われてた
人間って複雑だし裏切ったから憎しみ、永遠に許せないって
意外と少ないと思うよ
結末にかけてが都合よすぎるし陳腐。
仮に本当の話ならご愁傷様としか言えんわ。
※39
そういう希有な例もあるのかもしれんがまあたいがいは許されないよなぁ
これが許されるなら世の中離婚なんて無くなるよ
この話は父親と弟の感情がスコーンと抜けているんだよな
それがリアリティーのない所だわ
浮気自体は許されざることだが、反省してるのなら赤の他人がそこまで悪し様に罵るほどの事でもないか
・・・と思ってたが、日記の件まで読んで考えを変えた
あ ざ と い
報告者の短期間の手の平クルクルもあれだけど、母親もコロッコロ変わり過ぎでしょw
駄目男に身を捧げ捨てられ、レスキュー男に頼り新たに子を生み、駄目男にふらふらして子を捨て、
そんな人がいきなり改心して10年耐え忍ぶ?
そしてまた家族になって、ずっと幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたしってw
でもなによりいきなりなのが、義父の変わり身w
中2か3の進路決めの時に「お前を捨てたような母親が本当の親なんて言えない!」と言ってたのに
卒業した時には「お母さんに会え」「お母さんはお前らを想ってた」とプッシュして復縁へ
誰の心境変化にも着いていきにくいわ
※37
これだわ
苦労したからなんだとしか思えない、不倫しなければ無かった苦労だろ
なんでこれで許せるのかわからん
全体的に都合良く話が進んでいる…
※37
本これ…しかも母になったんだったら
母親みたいにならないといいねと思うわ
この母親は頭が悪い癖にズルをしようとしたがる女なんだろうな
途中で読むの止めたけど、なんか昔文学少女だったおばさんが
暇に飽かせて私小説を書いてみましたって感じ
あと空欄がうざい
読後感が悪いな
前夫が二度目の別れを承諾したのは何故?
フリーになったら全力でしがみついてきそうなのに
日記渡すのも気持ち悪い
「こーーーんなに私は苦労したのよ、可哀想でしょおおおお」ってアピールなだけだし
…やっぱり創作なのか
現在進行形の2部構成にして数か月か1年ぐらいしてから「母許す編」をやればよかったのに・・その際もスレ住人に相談して最終的に許す的な流れだったらここまで創作臭が出なかったと思うよ
進路相談のところの養父には感動したんだけど後半が雑だしいい話にしようとし過ぎ
日記だのニヤッと笑う養父の描写があざとくてちょっと気持ち悪い
小説としては稚拙、体験談としては生々しさが減って良さがなくなってる
さっぱりトマトソースもこってりクリームソースも好きだけど、混ぜたらどっちの欲も満たされず不満が残るみたいな感じ
途中から携帯小説になってるやんけ
みんな!もっとやさしくしてあげて!!!wwww
創作認定は嫌いだけどこれは無理だわw
創作乙以外の感想がない
※51
>ニヤッと笑う養父の描写
わかるw
「このサトイモ、冷凍かしら、おいしくないわね」と照れたように笑う妻を思い出したw
あほらし
「っさいってい」
という台詞でギブアップでした。
ノートに悲劇のヒロインぶって子供らへの思慕を書き綴ってみせただけで
腹痛めて生んだ実の2人の子を捨てて借金ゴミの男を取った罪が
こんなに簡単に許してもらえるんだねーすごいねー(棒
常に子供が優先されて父親が元鞘に戻りたいかどうかは考えてないんだな。
近くで暮らしてたまに一緒にご飯、とかでもいいと思うんだが。
母親が戻ってきたからって「お母さんお母さん」じゃなくて父親を第一に大切に想っていてほしい。
最後ら辺でもうケータイ小説かってくらいな書き方されててぐえってなった。
(前略)…長々語る必要はなく、事実を短く語る。それは聴く人の肺腑に迫り、心の奥深く残るのではないか(後略)
@松谷みよ子
頑張ってね!!
くだらん寸劇に付き合わさんといてもらえるかな
子供に渡すって事は、結局は「子供達に見せる為の日記」だったんだねw
茶番劇
きっとそのノートは「ジェバンニが一晩でry」
日記とかあざと過ぎて…
皆、厳しいなぁ〜。ちょっとじーんと来てしまったよ。
うーん…途中少し感動したけど、
今現在、不倫して家族から捨てられた哀れな人wが妄想で書いたのかな~という感じがしてしまってね…
父親の葛藤が全くないんだもの。
ニヤッと笑って母を迎えに行くわけないじゃん。
読後感はいやーな感じでした。
父親の葛藤なんて10年前には終わってるよ。
だから母親の居場所も知ってたし子供に説明することもできた。
倫理とか法的にとか言うけど、
しょせん人は感情で生きている動物なのさ。
裏切り合い憎しみ合い罵り合っても笑い合い支え合い助け合って生きるのが人間だ。
当人たちが納得できるならそこに他人がどうこういう隙間は存在せんよ。
これがフィクションかどうかはさておいて
そういう感情に共鳴する人が多いからこういう読み物ができるのさ。
娘が最後まで話を聞いても許せない、の下りまで
当然だ!他人の私でも腸にえくりかえるぞ!
と思いながら見てたんだけど、ノートを見て考えが変わったっていうのを見て、凄いなぁ、出来た子だなぁ。って思った。
このお母さんは家族に恵まれてるよ。
一度手を離してしまったけど、今度こそは必ずつないでいてほしいね。
じーんとした。
家族がいる有り難み、私も他人事ではなくかみしめないとね。
※69
共鳴してる※が圧倒的に少ない件
娘の進路決める時に「お前を捨てた母なんて本当の親じゃない」と言い切ってる件
父親を都合のいい展開に持っていくための駒にしているせいでキャラクターがブレブレになってる。
おそらく弟は出した当初はもっと活躍させるつもりだったけど、筆力不足でただいるだけになってしまったんだろう。
終盤くっさー
くさすぎて目がすべった
コメント欄の評論家の多いこと
やっぱりフィクション?
途中まで面白かったのに後半でズコー
これで大団円ではなく、その後も前夫がつきまとうんだろうな
衰えた妻の肉体目当てでなく金目当てで
法律に従わない輩だと特に
米76 出来るならそうなれ!
叶うならそうであれ!!
泣きました。゜+(。ノдヽ。)゜+。
私も初めは、お母さんのこと許せない!バカ女!とか思って読んでいたけど、お母さんの日記には
やられました(T_T)
正直、お母さんはバカ女だとは思う。
今のお父さんの方がはるかにいい男なのに、
グズの前のバカ男に戻るなんて。
頭いかれてると思った。
可愛い子供置いていくなんて、他人のアタシが見ても
ふざけんな!って思った。
でも前夫とはやり直せず、日記を10年も書き続けたお母さんは、本物だと思った‥涙
正直、感動した‥涙
子供達への愛も感じれた‥涙
あなた達姉弟は、本当にいろいろあって、
本当につらかったと思います。
でも、お父さんが本当に素晴らしかった!!涙
今どき、こんなに素晴らしい人がいるんですね。
感動しました(泣)
こんなに愛されているあなた達は、
本当の意味で、幸せ者ですよ☆
元気な赤ちゃんを産んで下さい!!
そして、家族みんなでいっぱい幸せになって下さい☆彡
お父さんによろしく伝えて下さい。
本当に素晴らしいお父さんだと‥☆彡
感謝しています<(_ _)>
胸糞悪い
不倫女に都合のいい話
不倫や子供捨てる人間は動物以下
この話し、父と母が反対だったらクズ男呼ばわりされてたよね
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