2015年08月05日 02:05
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今までにあった修羅場を語れ【その12】
- 436 :名無しさん@おーぷん : 2015/08/04(火)10:20:05 ID:d0J
- 戦時中にあった祖父の修羅場
長男で公務員でもある消防士だから赤紙は来ないと思っていたら終戦前年の冬に召集
関西から九州へ送られて訓練を受け、中国へと送られた
しかし祖父が到着してしばらくすると終戦、大慌てで逃げ帰ることになった
その時にいた部隊長さんがとても立派な方で民間人が港へ逃げ切るまで守りたいと言った
祖父たちもその提案に大賛成、やりましょうと部隊長さんに従おうとした
部隊長は嬉しそうに笑ったあと、急に「ところで君たち、本土での職業はなにかね?」と祖父たちに訊ねた
疑問に思いつつも素直に元の職業を答える祖父たち
会社勤め、農家、商家、大工、警察官、消防士など様々いたらしい
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- 全員分の元の職業を聞いた後、部隊長さんは何か考えて口を開いた
「大工と警官と消防士の君たち、民間人に付き添って船に乗って先に本土へ帰りなさい」
唖然とする祖父たちに部隊長さんは「君たちは今一番御国が必要とする人材だ」と言った
敗戦して焼け野原の御国には復興のために大工が必要、
混乱しているであろう治安を立て直す警察官と消防士も必要だからとのことだった
そして残りの人たちには申し訳ないが
自分と最後の民間人を港へ向かえるまで残ってくれと頭を下げたそうだ
部隊長さんに祖父たちは自分以外の大工や警察官や消防士もいるから残ると主張、
他の人も祖父たちの意思を汲んでくれと願い出た
でも部隊長さんは「頼む、御国のために行ってください」と深く頭を下げた
断れなくなった祖父たちは悔し泣きしながら部隊長たちと別れて
民間人の道中護衛をしながら港へ向かい船に乗って日本へ帰った
復員後、祖父は故郷の関西に帰って消防士と救急救命士の走りみたいな仕事に従事
一緒に帰った大工と警察官の人もそれぞれの職務に励んだそうだ
それでも祖父たちはあの時中国に残った人たちを気にして探していたんだが、
部隊長さん以外はほぼ復員できていたらしい
残った部隊長さんたちは祖父たちが復員した後も
中共だったかソ連だったかがやってくるギリギリまで民間人を港へ送り続けてた
でもさて自分たちも復員だとなった辺りで敵が近くまで来て、
部隊長さんは付いてきてくれた人を船に乗せるとその場に残った
士官の自分が投降したら民間人や君たちから奴らの目も逸れるだろうと言っていたらしい
結局そのまま部隊長さんはお帰りにならなかったそうだ
これが祖父の人生最大の悩みになって随分しんどい思いをしていた
あの時に部隊長さんと残っていたらという気持ち半分、
でも帰れなかったら子も孫も生まれてこなかったという気持ち半分
もうその部隊の戦友さんはほとんど亡くなって祖父ともう一人か二人だけだが、
毎年この時期はうちに集まって皆仏壇の前でじっと座っている
祖父たちは一生続く修羅場にいるんだろうなと最近思うようになった
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コメント
この※も安保関連の話で荒れると予想。
隊長さんがまさに漢だと思った。
こんな風に命がけで帰ってきた人や帰ってこられなかった人がいる一方で、
うちの親父(大陸育ちの昭和一桁)は「やっぱりあちらの風土の方が性に合う」といって、
昭和から平成になったぐらいの頃に離婚してあっちに永住しちまったよ。
人ってどこでなにがどうなるかわからんもんだね。
※1
お前が余計なコメ書かなければ出ない話
許せんな
今こそ攘夷やで
赤紙って単なる召集令状ではなくて、一度身体能力が不適格だからとはじかれた人のところに再度送られるものなんだけど知っているのかな?
一度ダメだしした、健康状態に難ありのものまで駆り出さなければいけない状況、って意味で赤紙は忌み嫌われていたんだけど
※6
親父の兄弟に赤紙が来たけど、別に健康状態悪かったとか聞いたこと無いな
親父が言っていたのは、まず村長に話が来てそれぞれの家庭環境を鑑みて村長が国に誰を送るか進言し
その後本人に赤紙が来ると聞いた。うちは兄弟多かったし貧乏だったからね
※6
夫を戦争で失った祖母は召集令状一般を「赤紙」って呼んでいました@神奈川。
祖父は旧国鉄のエンジニアだったし、招集がないのかと思っていたら、
終戦直前に召集され、南方でそのまま、でした。土が渡されたという話。
お国のため、という時代の人たちはカッコいいと思うのだけど戦争はもう無いといいね。
※6
赤紙は単なる召集令状だよ、補充などの理由で予備役・後備役を招集する事が目的。
大東亜戦争後半には予備・後備だけでは足りなくなったため、体格や健康状態が極端に劣る者(丙種合格)も召集されたが、それ以前は原則として、甲種・乙種合格の予備役・後備役のみ召集されていた。
所謂「根こそぎ動員」あたりと勘違いしてるんじゃないかな。
すごいなあ
立派だなあその部隊長さん。
どんな職種でもその職種を全うしようとする貴い人材はいるよね。
戦中にそういう人が大勢亡くなられたのは残念な事だ
お祖父さんの話が聞けて良かった。
まだ出てないから言うが、これこそ映画化決定だろう
ネタ乙
※14
こんな話がごろごろある時代だったんだよ。
戦死した三人ゅ弟と、引き上げ船の中で死んだ二人の娘のことを、じいさんは供養してたよ。
それもネタってんなら、あまりにも貧しいぞ、心と頭が。
これをネタと言えるのか……
うちの祖父も戦争帰り組で亡くなって30年経つ
10年前に地元戦友会もメンバーが減って解散
さまざまな経験を語れる人達が亡くなっていく
報告者のお祖父様のご長寿を心から願うよ
※3のお父さんはどこに行ったんだろ?
満州国?
うちの祖父は8人兄弟(男5人、女3人)の末っ子で
長男以外の4人の兄弟が赤紙に召集されて中国に出征し、末っ子の祖父だけ戦争を生きぬいたがシベリア抑留で数年遅れで帰ってきた。でも、兄貴3人は戦死(靖国神社に祭られてるらしい)、長男は戦時中に病死(たぶん結核)。
いまでも祖父の実家に行くと、兵隊のかっこうをした若い男性の写真3枚と、浴衣のようなものをきた若い男性の古い写真が仏壇に飾ってある。
結局、男5人兄弟のうち、子供も孫も曾孫も残せたのは末っ子の祖父だけだった。
(大伯母さんたちは子供も孫もいるけどね)
祖父は戦争のことをあまり語らない人だったが
「戦争はいかん」とだけ言い続けて、一昨年天寿を全うした。
ネタでもない、実話。
もっと祖父と戦争関連の話を聞く機会があればよかったんだろうけど、今となっては遅すぎる
なんでもネタ認定してるやついるけど、今は小学校で戦争の話避けるとこもあるらしいから、最近の若い世代にはネタにしか見えないんだろうか。
※6が知っているのかなとかいって書いてる変な妄想てどこからきたの?
うちの祖父は田舎土建屋の1人息子だったのに技術と体格が買われて開戦早々から召集されたよ
伯母が3歳、父が1歳半、一番下の叔母は祖母のお腹の中だったそうな
配属は当然ながら工兵部隊、橋や諸々の建設のため満州~南方と転々して最期には部隊が全滅して墓には骨は入ってない
今思い返せば周りの年寄り連中も国外の戦地から復員してきた人と国内の部隊にいた人でははっきり違うわ
外地から復員してきた人達は寡黙で語らず、国内にいた人達はやたら「今の若いもんは」な説教好きで子供心にウザかった
うちの祖父もフィリピンかどこかに行っていたらしい。
らしい、というのは祖母も父も詳しくは知らないから。
遊びに行ってもいつも書斎にいて、本を読んでいる物静かな人だった。
ちなみにマイナーだけど本も何冊か書いていた。
戦争の匂いなんて一切しないその本を読むたび、祖父はどんな思いで戦っていたのか、この話を書いていたのかと思う。
戦争関連とかでなくて良いから、もっといっぱい話をすればよかった。
こういうお話を聞けるのはありがたい
コメ欄含めて、読んでよかったと思う。
私には語るべき歴史がなくて恥ずかしい。祖父母から聞いておけばよかった。
うちのじいちゃんも毎年同窓会みたいな軍人会ってのに行ってたな
みんなで式場でお食事して思い出語るみたいな集まり
もう1人のじいちゃんは軍艦から泳いで逃げたって言ってた
逃げたからかニヒリストだったからか知らんけど、こっちは軍人会とかには行ってなかった
夏だね
※20
自分が書いてる二次創作と混ざったんだろう(適当)
祖父は満蒙開拓団に行ってシベリア抑留された
当時の妻子は風土病で亡くなり、帰国して再婚したのが祖母
父も孫の私も戦争がなく祖父が災難に合わなければ産まれなかった子どもで、その事自体何となくモヤモヤしている
祖父は亡くなった奥さんとの方が相性よかったようで余計に申し訳ない気がする
ウチの祖父は特攻隊の回天?だっけ
爆弾を抱えて敵船に特攻するってやつ。
あれの部隊に配属されていて、ずっと訓練をしていたらしい。
もう少し終戦が遅かったら、出撃してこの世にはいなかったといつも言っていた。
その他にもたくさん戦争の話を聞いた。
もう亡くなってずいぶん経つが、今の世の中を見たらどう思うだろうな。
明日は原爆の日だな。
8時15分に、皆様黙祷をお願いいたします。
広島より。
私の祖父も終戦後、満州から無事帰ってきたんだ
仕事は左官職人
長年の疑問が少し解けたきがする
大工だった爺さんシベリア抑留されてた
大工だからこそ抑留が長くなってしまったと祖母が言っていた
うちのじーさんは無事帰ってこれたみたいだけど
じーさんの弟が南方で亡くなってる
じーさんは晩年、新聞を憎んでたな
行きたくもない戦争に借り出されて
死ぬ思いで帰ってきたのに最後はこれか
俺らの世代はなんだったんだろうなぁ
って言ってた
今は亡き2人の祖父も晩年までほとんど語ってはくれなかった。
一人は、終戦半年前に南方へ招集。終戦で捕虜に。
十代だったためすぐ帰国させてもらえたが、
地獄を見た後に故郷へ直帰する気になれず、
上陸先に程近い漁村で1年以上お世話になった。
もう一人は、飛行場に動員(中学生)。
機銃掃射で同級生が幾人かお亡くなりになっている。
墜落した米軍機を遺体埋葬後にみんなで見学したとき、
その頑丈さから垣間見える国力の差に呆然とするしかなかったらしい。
「もう子供たちに戦争体験者の話しを聞かせない方がいい」ってブロマガがあってびっくりした。
何言ってんだと思って読んでみたら、老人たちの記憶が大幅に美化、風化され、事実とほど遠いものになっているからだと。さらに原発事故とか戦争責任の話とか、だんだんと話題がすり替わってってしまうんだそうだ。今なら安保のはなしにもなるんだろうな。
このブロマガ主は戦争体験を伝えていきたいなら、NHKで放送された『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』という終戦当時に収録された人々のインタビュー番組を見せた方がいいとまとめている。
自分の目で見て耳で聞いて、そこから大事なことを拾っていくのが大事だと思うけどね。
うちの母方祖父は燃料研究所?にいて外地へは行ってないらしい。薬専だったからかね。
父方祖父は私の生まれる前に亡くなってるけど、伝え聞いた話ではどっかへ出征していたそうな。
店のお客様の工廠に行ってたって女性とか、子供ばっかで居ったのに河原に機銃掃射?されたって男性のお話も伺った。
小学校の校長先生も3人とも戦前~戦中世代だったから、そのうちお二人からはお話伺った。
でも、最初の先生だけは何も話されなかった。今考えると年齢的に出征されてたのかも。
生徒と色んな話もしてくれて、休み時間も遊んでくれる先生だったけど、戦争の話は退職まで一度も無かった。
ここで米見てても思うけど、沢山の人にそれぞれの戦争の話があって、でもそれを直で聞ける機会は確実に減ってきてるんだね。
自分の小学5~6年生時の担任は、戦地で終戦を迎えその後捕虜生活から文字通りズタボロ(服と言うより体にぼろきれを張り付けた状態)で復員してきたが帰宅して間もなく、自分の戦死報告が届いたそうだ。
しかたが無いので自分で自分の「遺骨」を役所に受け取りに行ったのだが担当の人に説明をするのがやっかいだっとか。そりゃそうだろうなぁ。
帰り際、役所の階段の上から骨壺を踊り場に叩き落したら、石ころが数個出てきたとか。
ネトウヨが大好きなネタだよね。
※34
戦時中は子供だった人の割合が増えてるだろうから昔と比べるとどうしても話の性質は変わってそうだねえ。
軍国教育の只中の子供の目では見えていなかったものが多いから戦後成人した後に
得た知識や思想で無意識に記憶を補ってしまいそうだし。
自分の子供ころまでは戦時中に成人してて出征した人とか空襲経験して生き残った人とかが
まだ元気で頭もしっかりしてたけど戦後70年だと当時20歳だった人でも90歳だもんね…。
うちの祖父は八人兄弟の末っ子で終戦の数年前に生まれたんだけど、上三人の兄と父親には一度もあったことがないって言ってたな。
祖父に会う前に四人とも亡くなったんだって。
曾祖母はその後一人で子供五人を育てて地方新聞だけど新聞にも載ったことがあるらしい。
母方のじいちゃんは大陸で商売をしてて終戦時に夫婦でわっせわっせと帰ってきたことしか聞いてない
父方のじいちゃんの戦争話も聞いたことがない
二人とも自分が生まれたときにはもう鬼籍だったので聞くすべはないが、従軍した話は一切聞かないんだよな
話したくなかったのか、実際従軍していないのか
改めてそういった話を聞けている皆さんが少し羨ましい
戦争は嫌だけど、すごくかっこいい
こんな男になりたい
こういう立派な上官もいるが、そうじゃなく自分の部下をも○待する上官もいる。
それが人間ってものなのかもしれないが、善も悪も両面知っておくべきと思う。
ネタとかゆってる人は、しょせん自分が絶対に戦争に行かないと思ってる、幸せな人間だよね。
大戦前は、誰もがそう思ってたんだよ。戦争するのは軍人さんだけだってね。でなきゃ「赤紙」なんて来ないし、それに類する悲話もたくさん有るんだよ。
「智者は歴史に学ぶ」という。歴史を学ぶ姿勢も持ったほうが良い。
ヒトゴロシのネタを信じれる人は不幸なんだね。
斜めに構えて周りを子供扱いして、まんま中二病だわな。
これが戦争なんだよねぇ
うちも両方の祖父が招集されてるはずなのに一度も話してくれなかったわ
ドキュメントとか見ても、やっぱりあんまり話したがらない人が多かったみたいだし
辛いねぇ
※6
しれっと嘘を書くなよ。
妄想を垂れ流す前に調べろ、阿呆がッ!
ほんと露介は酷いな
大東亜戦争に女も使えばよかった
特攻系に男は勿体無いからな
※48
そうだね、特攻っててきとうにぶつかっていけば当たるもんでもなく
相当な訓練を積んだ精鋭の軍人がやらないと意味のない高等な戦術だからね
お前みたいなこども一人産めないうんこ製造器のまんまん蝉は、女子供老人以下の役立たずだから永遠に順番は回ってこないよ
なんの心配もしなくて大丈夫だから黙ってしんでね
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