2016年01月25日 12:05
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スカッとした武勇伝inOPEN
- 536 :名無しさん@おーぷん : 2016/01/24(日)06:48:21 ID:ZlM
- 流れを切るようで申し訳ない。
初書き込みですがご容赦を。
医者に「出来るだけ他人に話したほうがいい」と言われたのですが、
口に出すと未だに情景がフラッシュバックして震えてしまうので、
文章に起こしてみます。長文、いくつかに分けます。
3.11の際の武勇伝。
当時某食品スーパーに勤めており、当時片思いだった女性も同じ職場に勤めていました。
妙な地響きが聞こえる、と思った瞬間、本震が来ました。
マニュアルには買い物籠をお客様に被らせる、というものがありましたが
真っ先に思いついたのは片思いの彼女の事。
本来なら叩かれる行為なのでしょうが、彼女が担当、その時間いるであろう場所へ
途中転びながらも走って向かいました。
丁度彼女が座り込んでいる天井部分がつり天井となっており
支えているワイヤーもすでに残り1本になっていました。
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- 537 :名無しさん@おーぷん : 2016/01/24(日)06:57:59 ID:ZlM
- ああ、このままだと潰されるな、と、
妙に冷静にその光景が目に入っていたのを覚えています。
とっさに彼女の手前まで飛び込むように滑っていき(走るより安定したので)
危ない!と叫ぶつもりなのに呂律も回らず「っぶぁ!w」と妙な鳴き声を上げながら
彼女を抱えて陳列棚が並んでいる隙間に転がり込みました。
それから体感1秒ほどでしょうか。案の定天井が落ちてきて、僕の背中に何かが強打しました。
彼女を抱え込むように庇いました。
恐怖のあまり、目を瞑ってはいましたが、腕の中で叫ぶ彼女を
「大丈夫!大丈夫だから!」と慰めにもならない叫び声をかけていました。
そう言いつつも、内心
(ああ、だめかな。でも好きな人抱えて死ぬならいっかなー)
とか
(俺って判るように身分証は服の中にしまっときたいな)
なんてことを無駄に考えていました。
暫くして、背中のしびれも地震も収まってきた頃、瞑っていた両目を開けました。
店内は真っ暗。というか、天井板らしき残骸に埋もれてしまっていて
光が瞬時に目に入ってきませんでした。
腕の中の彼女はブルブルと震え、右手部分の周辺だけスペースを作り
彼女の頭をなでました。
ただ呻いている彼女の身体に怪我がないか確認したかったのですが
生憎ほぼ動けない状態だったので
「怪我は?痛いところはない?」
と声をかけるので精一杯でした。 - 538 :名無しさん@おーぷん : 2016/01/24(日)07:04:55 ID:ZlM
- 声をかけても反応がないことに恐怖を覚え、無理やりにでも確認しようと
動かせる右手で彼女の身体に触れました。
刺さっているようなものも、折れているようなところもなく、ほっとしたとき
「あの、誰ですか?」
と、彼女が声をかけてきました。
「俺だよ。ごめんね、変に身体触って」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
ありがとうも何も、僕は結果的には崩れ落ちた天井の下に一緒に入り込んだだけの形だったのですが、
彼女は繰り返し感謝の言葉をかけてくれました。
お互い大した怪我はないと確認し、その後は救助を待つことにしました。
長文になりすぎるので割愛しますが、そ近くに誰かいたか、なんてことはまったく覚えていませんでしたので
とにかく声を大きく上げる以外ありませんでしたが、
程なくして同僚たちに救助されました。 - 539 :名無しさん@おーぷん : 2016/01/24(日)07:13:11 ID:ZlM
- その後、背中は打撲程度で済んでよかった!とパートのおばちゃんに怒られ、
津波警戒のために帰宅禁止令が出され、また買い物客が押し寄せる可能性もあり
店を離れられませんでした。
僕は自宅に両親がいないことはメールで確認できていたので安心していましたが、
彼女は、まだ家の方と連絡が取れていませんでした。
1時間ほどたち、解散の流れになったのですが、行く先などありません。
とりあえず彼女とニュースを見ていた時、あの、津波の映像が流れました。
「私家に帰る!」
落ち着かせようとしましたが、彼女は先ほどのパニックを引きずっていたようで
あっという間に錯乱してしまいました。
「判った。俺も行くよ」
と、こっちが折れ、彼女の家を目指していたとき、彼女のケータイにメールが届きました。
『家族は無事、二階に逃げている』
彼女は子供みたいに大声で泣いていました。
ただ、僕は家が流されないか、不安は残っていました。
用事が出来たので、続きは少し間を空けて書き込みます。 - 540 :536 : 2016/01/24(日)07:40:28 ID:NPm
- ID変わっているかもしれませんが、先ほどの者です。
sageるのを忘れました…
彼女に聞くと、家には祖母と母親の二人だけが残っているらしく、
祖母の足が悪いために残る判断をしたようです。
家に行くために、崩壊したオフロード状の道を進んでいくと、まだ津波は到達していないようでした。
車から転げるように彼女が飛びだし、それに僕が続きました。
ちょっとした庭石があったので、そこに飛び乗り海を見ると、もうすぐそこまで津波は来ていました。
「2階に上がれ!靴忘れんなよ!」
そんな僕を見ていた彼女のお母さんいわく、
波に背中を押されているんじゃないかと見えるようだったと聞きました。
本当にギリギリで階段を駆け上がると、後ろからいろいろなものが悲鳴のような轟音を立てました。
車は流されましたが、なんとかまた生き残れました。
2階の部屋に通されると、彼女のお母さんが泣きながら怒っていました。
「あんたたち!なんで大人しく避難所に行かなかったの!」
「だってぇ…」
そこからは暫く親子ならではのやり取りを。
でも、微笑ましい再会ではなく、事態はもっと逼迫していました。
「もうこっから動けねぇなぁ…」
ばーちゃんがぼそっと呟き、ベランダのほうをじっと見ていました。
そうだ。様子だけでも見ておかなきゃ。
そう思い、ベランダに出ました。
そこでようやく自分が土足だったことに気づき、平謝りをすると
ばーちゃんは「だいじょぶだ。ぜーんぶ掃除しちまうから」と、この事態に動じることなく淡々としていました。
下に止めていた愛車は、もうどこにもありませんでした。
車が流されるほどの激流に、この家が堪えられるのか。
先刻考えていた不安がまさしくその瞬間、現実味を帯びていました。 - 541 :536 : 2016/01/24(日)07:52:09 ID:NPm
- 携帯は持っている。情報は入るものの、一番重要な現地の情報が入りませんでした。
津波です。逃げてください!その繰り返しです。
ばーちゃんはカラカラと
「逃げろっておみぇ、出来るもんならさっさとやっとるが」
笑いながらニュースを見ていました。
空が暗くなり、雪がちらついていました。
そんな時間まで、ただずっと部屋で待機していたのですが、ふと外から人の声が聞こえてきました。
ベランダに出てみると、波はおさまり、大海原に家がポツポツと浮かんでいるような、
そんな風景が広がっていました。
「おおーい!こっちだー!ここだー!助けてくれー!」
年老いた声が聞こえてきました。はっとして下を見ると、
目測20mほど離れた場所にある車の天井部分に、人影が見えました。
「怪我されているんですか!?」
こちらが応えると
「水に濡れてしまった!寒くて一晩持ちそうにない!助けてくれ!」
聞けば、津波に揉まれたものの、たまたま浮かんでいた防砂林の流木にしがみつき、
そこに行き着いた、とのことでした。
「ちょっと俺行ってきます。ここに連れて来てもいいですか?」
「波は大丈夫なの?」
「多分。浮いてるものも動いてないし」
服が濡れると後が辛いと思い、彼女の前で気恥ずかしいものの、下着一枚になり助けに向かうことに。 - 542 :536 : 2016/01/24(日)08:03:36 ID:NPm
- その男性が待っている場所までは障害物も漂流しておらず、帰りのルートを覚えながら向かいました。
見ると、大体70代ほどの人でした。
「迎えに来ました。歩けそうですか?」
「寒くてもう水に入りたくない。おぶってほしい」
大人一人なら、普段なら問題なく背負えるのですが。
足元は腰まで浸かる水。しかも泥も混ざっており覚束ない状態でした。
それでも確かにその男性は全身をガタガタと震えあげており、危険な状態なのは見て取れました。
「分かりました。どうぞ!」
背中で受け止める姿勢を取り、男性を背負いました。が、やはり思った以上にキツイです。 - 543 :536 : 2016/01/24(日)08:18:16 ID:NPm
- それでも何とか体制を崩すことなく、玄関先までおぶって行くことができました。
何度か足元を掬われるような泥にぬかるみましたが、
そこは好きな女性が見ているということもあり、踏ん張ることができました。
階段の濡れていない段まで、彼女と彼女の母がタオルを持って下りてきてくれていました。
濡れた身体を拭いて、男性にも以前亡くなったじーちゃんの服を着させていました。
階段を上がり、部屋でばーちゃんとその男性が顔見知りだという話から救助までは割愛します。
全て書いていたら切りがないので。
その晩は、男性女性に別れて寝たものの、夜中こっそ廊下の窓際で彼女と話をしたりしました。
翌日、彼女たちを連れて移動が出来ないか、と考えていました。
しかし、老人を二人とも自分が担ぐことはできません。
男性は前日に濡らした身体が万全ではありませnでしたし、
何より水の引いていて、尚且つ人が救助に来てくれそうな場所が思い当たりませんでした。
結局、大人しく救助を待つことに。
救助が来るまでの間、少し周辺を確認しましたが、あるのは語彙隊 - 545 :536 : 2016/01/24(日)08:20:29 ID:NPm
- 途中送信してしまった…
ご遺体が数人分と、その人数分以上にあった腕の欠片とか。思い出したくないんで。 - 546 :536 : 2016/01/24(日)08:22:33 ID:NPm
- 離席します。残っていれば夕方あたりにまた戻ってきます。
- 548 :名無しさん@おーぷん : 2016/01/24(日)13:57:38 ID:SDI
- まだ途中なのに涙が止まらなくなるから困るね
- 549 :名無しさん@おーぷん : 2016/01/24(日)14:18:04 ID:qmL
- 本当に涙が出てくる…
しかし偉いな。大好きな女性に「いいトコ見せたい」だけでは、こんな勇敢な行動は取れないよ。
あの雪の中、下着姿になって見ず知らずのお年寄りまで救出、本当に良くやった!!
大変だったね…
続編待ちます。 - 552 :536 : 2016/01/24(日)17:21:39 ID:Q3F
- 戻りました。ID変わりましたが536です。
再会するまえにまずは謝罪を。
こちらは武勇伝板ですが、内容が被災体験記になってきてしまいました。
一応、被災に抗ったスーパーの従業員の武勇伝、ということでご容赦下さい。
また、割愛と先ほど書きましたが、やはり救助の件は書かせて頂きました。
一応注意書きを入れましたが、読む際に少し注意を。まぁ、経験していない他人から
見れば他愛ない体験談かもしれませんが、不快感を抱くこともあるかもしれないので、一応。
それと書き忘れていたので補足を。
彼女の父親は彼女が生まれる直前に交通事故で亡くなっていました。
そこで祖父が住むこの地に引っ越し、3代4人で暮らしていたそうです。
男手がなかったこともあり、片付けにも駆り出されたのは後日談。
そして、誰が話しているか分かりにくく感じたので、
僕:僕
彼女:ちー(ちーちゃんと呼んでいたので)
彼女の母:おば
祖母:ばー
と分けます。
男性は正直、会話らしい会話ができなかったので割愛します。
それでは続けます。 - 553 :536 : 2016/01/24(日)17:25:09 ID:Q3F
- ずっと待っているだけは性に合わず、僕は一階部分の確認を始めました。
後日被害規模を聞いたところ、1階部分の北西の柱が折れていたとのことでした。
よくぞ持ちこたえてくれました。あの家を建ててくれた彼女のじーちゃんに感謝します。
水は床上50cmほどの位置。腰より下でしたので、僕自身の家よりは被害は小さく収まっていました。
まず探し始めたのは食料でした。缶詰が床下収納に入っていた、というおばさんの言葉に従い、
床部分の清掃を行い、中を確認すると・・・・・・何もありませんでした。
床下は津波でめちゃくちゃになっていたので、何もない、ということはないわけですが。
諦めて冷蔵庫の中を確認しました。中には水が入り込んでおらず、
ひっくり返ってはいたものの、いくつか食べられるものが残っていました。
それらを適当な袋に詰め、2階へ持って上がりました。
ここまで書いたのでおわかりだと思いますが、救助が来るまでの食料。
それが僕たちの当面の危機でした。
2,3日飲まず食わずでも人間は命に別状は出ません。しかし、
そこに被災という異常事態が重なると、その苦痛はストレスへと直結します。
ストレスは無駄に体力を使い、マイナス的な考えに陥りやすくなります。
食料は手に入ったとは聞こえがよく、即食べられそうなものは
ハム、梅干し、リンゴジャム、葉唐辛子の佃煮、コップ1杯分ほどの麦茶が入ったペットボトルでした。
飲み物が圧倒的に足りませんでした。
結果として、流されて体力の落ちた男性、彼女のばーちゃんを重点に食料を渡し、
僕は梅干しで食いつなぎました。
これがよかったらしく、梅干しの種を飴玉のようにずっと口の中で遊ばせているだけでも、
何とも言えない癒しになっていました。
しかし、このままでは心が折れてしまうのは時間の問題でした。
何よりも年寄りがいる、という状況。布団に横になってはいましたが、
明らかに生きる気力が落ちていました。 - 554 :536 : 2016/01/24(日)17:27:42 ID:Q3F
- 意を決し、僕は助けを呼びに家を出ることにしました。3.13、朝のことでした。
ずっとこのまま、何の希望もないまま籠っていては、本当に死人が出てしまう。
なぜかわかりませんが、そのような予感がありました。
こう書くと創作を疑われるかもしれませんが、被災した直後から1か月ほど、身近に「死」を感じていました。
異常事態であり、すぐ近くにご遺体が点々としていたからでしょうか。自身も天井の下に埋まりましたし。
津波もなく、地震が来ても崩れるものは全て崩れていたのに。
今思えば、それが生存本能だったのでしょう。死の気配に異様に敏感になっていました。
だからでしょう。
僕「ごめん、俺、やっぱり人を呼んでくるよ」
ちー「やめて!一緒にいてよ!大丈夫って言ってたでしょ!?」
僕「その大丈夫を連れて来るんだよ」
確か、このような会話を彼女としたと思います。
必死にしがみついてくる彼女の頭を撫でて、ひたすらごめん、と謝りました。
彼女も、「ここで行かせたら死なせてしまうような気がする」と後日話してくれました。
やはり、みんな同じように死の気配を感じ取っていたようでした。
しかし、おばさんはきりっとこちらを見据え
おば「お願いできる?ごめんね、あまり(ばーちゃん達も、食料的にも)持ちそうにないから」
僕「移動するのにどれほどかかるか分かりません。
避難所に着いたとしても、救助の手が出るまでにどれほど時間がかかるか分かりません。
それでも、待ってくれますか?」
おば「任せて。この子(彼女)は納得していないけど、そうするしかないっていうのは分かってるから」
僕「はい。それではよろしくお願いします」 - 555 :536 : 2016/01/24(日)17:29:35 ID:Q3F
- それからすぐに1階部分で持って行けそうなものを調達しました。
水の深い場所で浮くための空ペットボトル。
それを入れておく背負い袋(彼女が小学生の頃家庭の授業で作ったらしいです)。
それから偶然見つけた戸棚に入っていたおかき。これは3欠片持って行き、あとは彼女たちに渡しました。
そして男性が乗っていた車の中から、発煙筒を一本。
またその近くにあった別の車に向かい、自分用に発煙筒を、と助手席から覗き込むと、
多分親子だったのでしょう。運転席と後部座席にいらっしゃいました。
彼らの詳しい状況、描写は伏せます。
正気を失いそうになりながらも、すみません、お借りします、と手を合わせ、発煙筒を拝借しました。
程なくして準備は整い、寒いから、とばーちゃんが箪笥から亡くなったじーちゃんの上着を渡し、
背中をばんっと叩き、ずっとさすってくれました。
僕「ありがとうございます」
ばー「とーちゃん(じーちゃん)が守ってくれる。無茶はすんじゃねぞ?」
ちー「がんばってね・・・」
目に涙を浮かべて、子供みたいにひくつきながらちーちゃんが手を握ってきました。
ここだ、と思い、僕は意を決して彼女をぎゅっと抱きしめ
僕「戻ってきて落ち着いたら君に好きって言いたいんだ。待っててくれる?」
と、今思い返すと背中がうがあああっ!!!と痒くなるようなセリフを吐きました。
それでも、何かの希望が欲しくて。そして僅かな吊り橋効果を期待して。それを伝えました。
ちー「・・・うん」上手くいったと思った時、
ばー「私ら邪魔かね」
外野がいることを、本当にすっかり、忘れていました。外野三人、ニヤニヤしていました。
多分、僕も向こう側にいたらニヤついていたでしょう。
僕は「行ってきます!」とぎこちない明るさで別れを告げ、ケータイを彼女に渡しました。
充電は少ないけど、電源を切っておけば多少はもつ、と。
手の甲に彼女の番号を直接書き込み、
時間を確認。確か、10時2、3分。出発しました。 - 556 :536 : 2016/01/24(日)17:31:24 ID:Q3F
- さて、震災当日は車で移動していたので気づきませんでしたが、避難所までの距離がだいぶありました。
地図は頭に叩き込んだつもりですが、ほぼ当てにはなりません。
追記ですが、僕はこの土地に高校を卒業してから家族で移住。
そのまま就職、毎日勤務と、地元のことがほぼ分からない状態でした。
なので、土地勘もなく地図は脳内、大体にして「物理的に」道がどこなのかも分からないところを、
ひたすら歩いて行かなくてはいけませんでした。
聞いていた通り、まずは高台にある学校を目指すべきか。と思ったのですが、
その小学校はいわゆる分校であり、校庭も小さく救助隊が来るのは後回しになるだろうと考えました。
若いとはいえ体力は温存したい僕は、判断に迷いましたが
大きな校庭がある隣の学区の中学校を目指しました。
その近辺には広い範囲にまばらですが住宅地がありましたし、
人がいればそれだけ早く来てくれる気がしたので。
膝上までの水の中を歩く、ということがどれほどきついのか。
みなさんもプールなどで経験したことがあると思います。
1時間でいくら進めたのか、今でも思い出せません。 - 558 :536 : 2016/01/24(日)17:47:07 ID:Q3F
- 先に警告を。ここから僕のトラウマ話が入ります。
すみません、昼に電話で担当の医師に相談したところ「描写したほうがいい」とのことだったので。
恐らくほとんどの方が不快に思うはずです。
そういうのが苦手な方。読み飛ばしていただけると幸いです。
******(←これが合図です。終わりに再度差し込みます)
程なくして、町民体育館が見えてきました。
以前地域レクリエーションと称した催しの際、中を見ていたのですが、
その駐車場の出入り口に「緊急避難所」という看板がありました。
誰かいるかもしれない。もし若い人がいれば、数人で移動したほうが心強いかも、と思い。
体育館に向かいました。
そこも、その時に胸の高さほどまで水がありました。
避難所と書かれていても、水が抜ける前は僕の身長以上の水かさがありました。
「それ」を表す壁を見たのに。
入口が開かないのに。やぶれた壁の隙間から、中を見てしまいました。
角の方に、ごちゃごちゃした何かがありました。
それが十数人分のご遺体だと気付くのに、そんなにかかりませんでした。
恐らく、他人を下敷きにして自分が上に上がろうとしたのでしょうか。
それとも、波に遊ばれ角に寄ったのでしょうか。
2階部分から光が差し込み、その中に黒々とした、まさしく死屍累々の山。
ジェットコースターで内臓が浮いたような感覚になり、そのときは、
「ああ、そっか」と呟いて引き返したのですが、その情景が頭から離れない。今も。 - 559 :536 : 2016/01/24(日)17:49:55 ID:Q3F
- 本来の目的地に向かいます。
その道すがら、時々人が見えました。
助けないと、という気があったのか。正気を失っていたのか。
恐らくその両方でしょう。
こういう事態なんだな、とふわっと感じていた程度でした。
人の手が水面に出ていたので握ると、人の重さを感じず、肘から根本に向けては何もありませんでした。
別の方はじっとこっちを見ていました。車と流木に身体を潰され、小首を傾げるように。
なぜか、「こんにちは。寒いですね」と声をかけていました。
異臭と疲労と「そういうこと」で、頭の中でサッカーボールがバウンドしているような。
そんなガンガンとした頭痛に悩まされながら。
人のご遺体があっても、程なくして無反応になりながら。
みんなのために早く早く、と念仏を唱えるように呟きながら。
******
朝から歩き、夕方頃になってようやく目的地に到着しました。
行きすがら田んぼの用水路に落ちたりしましたが、浮き袋のおかげで溺れずに済みました。
しかし見かけは泥だらけ。下半身などまるでドラクエのマドハンド。
分からない方はマドハンドで画像検索してみてください。 - 560 :536 : 2016/01/24(日)17:52:57 ID:Q3F
- 近くにいた方に「救助隊はどこに?」と訊くと、
「ここにはいない。日が落ちるまで救助に向かうと言っていた」とのこと。
どうやら小さい船で近場から救助しているようでした。
戻ってくるのを待ち、事情を話し、翌朝一番で向かうことになりました。
その際、道案内として同船することに。
あの道をまた戻る。それだけだ。
大丈夫、何も起こっていない。みんな元気にしてるはずだ。
そう言い聞かせ、冷たく濡れた身体を温めるため、
グラウンドの端でひたすらシャトルランのような往復をゆっくりと繰り返しました。
翌朝。
船とは言っても手漕ぎのボートにエンジンを積んだようなもので、
何やら無線でどこかと通信しながら自衛隊員の方がひたすら周辺に気を配っていました。
自衛隊員(以下自)「この辺りに救助が必要な方はいませんでしたか?」
と問われ、
僕「いや、みんな大丈夫そうでした」
自「?いるのですか?」
僕「あ、いや、手遅れなんで」
自「そうですか・・・」
と、そんな会話をしたのは覚えています。 - 561 :536 : 2016/01/24(日)17:53:25 ID:Q3F
- 一日かけて歩いた距離を、ボートだとさほど時間をかけずに戻りました。
大声をかけて、助けに戻ったことを家に伝える。
ちーちゃんがベランダに出てきて、大きく手を振ってくれた。
早く、早くと叫んで。
「もう大丈夫」と、昨日より少し水が引いた庭に船を着けて声をかけたのですが、様子が少し変です。
自衛隊員が何かを察したのか、ばたばたと二階に上がっていきます。
そのあとをついていくと、男性に何やら声をかけていました。
体調が崩れ、返事をしない、と。
段々と体温が下がって、みんなでさすっていたようでした。
急いで医療員の方が脈を計りましたが、弱いな、と応急処置に入るために部屋から出てほしい、
と僕たちを隣の部屋に誘導しました。
僕「こんなことになってるって知っていれば、もう少し早く戻りたかった」
ちー「うん、でも、戻ってきてくれて嬉しかった」
告白したい、と言っていた自分はどこに行ったのか。
まるで人が変わった、と彼女は言っていました。
それでも、絶対戻ってくると信じてくれていました。 - 562 :536 : 2016/01/24(日)17:53:34 ID:Q3F
- すぐに船で男性を避難所まで運び、僕らも別に来た船で後を追いました。
低体温で危ない状態だと、ちーちゃんの手を握りながら隊員の話を聞いていました。
その後、数日してなんとか体調は戻ったものの、一カ月後に亡くなった、と話を聞いた。
もっと早く戻っていれば、と。
体育館なんかに寄らなければ、あるいは、と何度も考えました。
でも、そのたびにちーちゃんの嬉しかったという言葉を反芻し、気持ちを切り替えました。
医者に聞いたところ、恐らく行きの道での出来事はきっかけであり、
決定打はここにあったのだろうと仰っていました。
完全なPDSDだと言われ、仕事は休むようにとも言われました。
しかし、スーパーは食料品を扱うライフライン。そう簡単に休むべきではありません。
しかも、その頃にはすでに部門を支えるべき立場にあったので、
家族に連絡ができないまま、職場で寝食をしながら家族が来るのを待ちました。 - 563 :536 : 2016/01/24(日)17:53:53 ID:Q3F
- ちーちゃんは避難所からの通い勤め。
夕方になるとバックヤードで話をするのが日課となり、
2カ月後、「遅くなってごめん。約束を果たしたい」と告白をしました。
吊り橋効果かどうかは分かりませんが、彼女はそれを受け止めてくれました。
命の恩人だけどそれだけじゃなく、これからも守ってくれると思ったから、という理由からだそうです。
僕はその後転職し、仕事の関係でその地を離れてしまいました。
時々近所の小中学校に出向き、被災の体験を語る場を頂いたりしていますが、
今でも演台でこの話をすると、情けないことに膝が震え、言葉が詰まってしまいます。
ですが、治療の一環というわけで続けさせていただいています。
今では遠い地で彼女と同棲しています。
被災した際に使ってしまった貯金も段々と貯まり、今度プロポーズをしようかと画策しています。
震災後からずっとそばにいてくれるお蔭で、
僕もPDSDと付き合いながら、完治に向けて日々頑張れています。
彼女にとっての僕の武勇伝、ということで。
長文、連投、失礼しました。
色々情報が抜けていたり矛盾部分があるかと思いますので、質問があればお願いします。 - 564 :名無しさん@おーぷん : 2016/01/24(日)19:26:59 ID:RRt
- ちょいちょい覗きにきて読んでたけど壮絶だね…
何て声かけていいのか分からないけど、ただ貴方の心が少しでも楽になるように祈ってるよ
焦って治そうとしないで、いつか楽に話せるようになると良いね
彼女さんとお幸せに - 565 :名無しさん@おーぷん : 2016/01/24(日)20:08:25 ID:qmL
- 大変な思いをされたね
「大変」の一言ではとても収まらないけど…
でも、あの震災を乗り越えた貴重な命を、どうかこれからも大切に、
PTSDに負けないで、 ちーちゃん共々どうかお幸せに。
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コメント
壮絶だな・・・。
これからは幸せに生きれることを祈るよ。
関東人は福島の子供を差別するわ
復興の手助けは一切しないわ
文句だけは言うわ
TVはすっかり福島の事なんて放映しないわ
震災後も散々だよね
※2
だってどうでもいいもん
内陸の被災者に、お前らは楽したのに被災者扱いされていいよな!二度と震災は大変だったなんて語るな!と怒鳴りつけた沿岸部の被災者がいた
きっとあの人も辛い体験で頭のネジをやられたんだろう、切ないな
月並みだけど涙出てくるわ
平和ボケって言われても言い返せないよなあ
親戚の子供が当時小学生だったんだけど
毎年3月に入る頃からPTSDの症状みたいなんが出るらしいわ。
吐き気がするとか、眠れなくなるとか、集中力がなくなるとか。
日付がだんだん近づくのが怖いらしい。
正直ひさいちなんてもうどうでもいいよ。
福島だって近くに原発があるからそれなりのことして貰ってたくせにさ。
津波がきたところほ先人の話だとかを聞かなかったんだから自業自得だよね。
日本人の素晴らしい民度がよくわかるコメント欄になりそうですね
生存者がいると思って近寄って行ったのに、
避難所が全滅してるのを見たのはトラウマになるだろうな
自分でもなると思う
投稿者の方はご両親の無事をメールで知っていて安心したろうけど
ご両親の方は帰ってこない息子の安否が結構心配だったろうな……
彼女もご一家全員無事だったおかげで最終的に助かったけれど、
祖母/母/娘の誰か一人でも欠けてたら結構精神的にやばかったと思う。
凄いなあ、報告者は立派な男性だね…
自分が同じ立場になったとき、何が出来るだろうね
本当にちーちゃんとおばあちゃんたちと幸せになって欲しい
阪神は倒壊だったり火災だったりだから直にご遺体を目に入れる事は少なかったのかな?
東日本は津波だから助かった人たちはきっとたくさんのご遺体を見てしまったんだろうね…
被災地がどうでもいいとか言ってる人が一定数いるのは仕方がない気もするよ
自分が体験しないと理解できない人っているし
自分はどーでもいいなんて言わないけど平和ボケしてる自覚はある…
文章であっても涙がでてくるなぁ
あのクラスの大きな津波がやってくるなんてほとんどの人が想像だにしてなかったものね
投稿者のような行動が私は出来るとは思えない
投稿者は立派だと思う
はだしのゲンの原爆投下直後にゲンが街をさまようシーンを思い出した
基本的に遺体はみんな水死体なのだろうし、壮絶な光景だったんだろうね・・・
フラッシュバックとか甘えだろ
自業自得とかどうでもいいとか抜かす人間ほど当事者になったとき回りに当り散らすんだよ
例なら嫌になるほど見てきた
ようやく、こういった方々がこういう体験談を話せる時間が経過したんだね……
5年…5年かあ…
俺はいざとなったらこの報告者みたいに動けるかなあ…まず生き延びなきゃなあ…
これは明らかに作り話。
報告者の話だと報告者がいたスーパーで地震による死者がいないとおかしいくらいの事態になってるけど、地震による死者ってどれくらいいたか分からないんだろうな…。
地震による建物崩壊じゃなくほとんど津波が原因なんだよ。
実際私は地震のひどかった地域の街中にいたけど、報告者の言うような被害は見てない。
民家の屋根の瓦が落ちてるのは見たし店の中はぐちゃぐちゃになってる所もあったけど、報告者の店舗ほどひどい事態になった場所ならテレビで放送されるよ…。
津波の被害があった場所と無かった場所じゃ全然違うよ。
あまりに辛い光景に、脳が心を守る為に日常的な言葉を口に出させたんだろうね。
プロポーズが上手くいって、家族になって家族が増えて、不幸だった事より幸せな事を沢山思い出せるようになってほしい。
辛いのはわかるんだけど、自ら被災しに行ってるところになんかモヤる
被災者は貴重な体験してるんだしもっと体験談とか出てくるといいんだけどなー
PTSDとかもあるし体験談ってなかなか難しいだろうね
自分は311のとき仙台駅前のダ○エー向かいのカラオケにいたんだけど
震度7の時に「あ、やばいこれ死ぬ」ってだけ思って止まってからもしばらく動けなかったな
そのあと店員さんが来て避難って言われるまで何故か割れたコップを必死にかき集めてた
建物から出たら正面のダ○エーのあちこちから水が噴き出してた
津波が来る場所には住んでなかったから被災者ってほどじゃないんだけど
地震だけでも怖いのに津波までコンボで来たら未だに病んでた自信がある
心無いコメントが、全部ニダーの書き込みである事を願ってる
優良人種たる日本国民の書き込みとは思えない程、酷い書き込みが多い
※2 ※7 君たちのように毎日罹災しているかのような生活を送ってる人たちにとっては、
何の感情も湧かない話なんだろうねw
ごめんなさい※22は「津波が来る場所には住んでなかったから」
→「津波も来てないし家も倒壊とかの被害はなかったから」と読み替えて
あの寒さだし、もうちょい遅れてたら、ばぁちゃんも危なかっただろうよ。
※18
自分が見てないってだけで否定できるってのもすごいな
被災地全域見て回ったのかよw
※18
報告者の勤務先のスーパーでは、死者は出ていないんじゃないか?
壊れているなりに、かろうじて営業再開してたようだし。
>実際私は地震のひどかった地域の街中にいたけど、報告者の言うような被害は見てない。
自分が見ていない被害だからありえない嘘っぱち、と断言するのもどうかと思う。
福島の復興を願ってる
生きてたんだから頑張るしかない
頑張れって言葉は無責任だの追い詰めるだの否定されるだろうけど、
自分は昔から日本ある、ここには必要な言葉だと思う
いっぽう私は「3月13日の初デートどこ行く!?」とウキウキで聞いてきた彼氏と別れたのだった
ここも建物崩壊するレベルで揺れたのに、サイコパスかよ…
「たられば」を考えてしまうと自責の念に押しつぶされてしまうよね・・・
救助してくれる人を探しながら前に進むんだからアチコチ寄るのは当たり前、
神様なら空の上から自衛隊が居る場所を確認して一直線に進めるだろうけど、
自分は神様じゃないから仕方が無い!と自分に言い聞かせるしかないよ。
・・・って言っても、それでも思い出しちゃうんだろうけどね。辛いよね。
※18
近年に建てられたもので倒壊するような建物は無いに等しいけど、
つり天井が落ちた建物はけっこうあったよ。
同じ時代の同じ国の話とは思えないほど壮絶だ。どうか残りの人生が平和でありますように。
若いのに立派な人だね
自分が同じ状況にいたら、同じことできたかな。無理かもしれんよ…
ゆっくり自分の中で当時の出来事を消化できたらいいね
あの非常時にこんなに行動できるのは凄いことだ
ちーちゃんと愛を育んでね
なぜ2度もPDSDと間違うのか……
ちょいちょい不思議な所があるんでもやもやしてしまう
個別認識してもらってるかどうかさえあやしい、片想いの女性を守ろうとした。
そんなスタート地点なのに…なのに…すげえな
あの時、地震発生1時間後位で家族とすんなりメールやりとりできた人いるの?
彼女とニュース見たとかばーちゃんがニュース見て笑ってたとか停電してなかったの?
携帯のワンセグだとしても家族や友人の安否確認したくてそれどころじゃなかったよ?
それに自分の病名もちゃんと覚えてないの?
こういう体験談を語ってくれるのは有り難いですがいくつも疑問点がありました
※38
5年もたってるし、もの凄い混乱のまっただ中だったんだから、記憶に齟齬が出るのは仕方ないんじゃないの?
重箱の角をつつくような疑問点は、この際それほど大きな問題じゃないと思うんだがなあ
※39
重箱の隅をつつくような疑問かね?
こういう話だと色々言いにくいけど、事実じゃないならこれほど胸糞悪いものはないから微妙
悲惨な体験を聞いた人がよそで自分の体験として盛って語ってたということがあったから余計に
いや無理だったよいつまで経っても連絡取れなくてすごい心配だったもん…
海なし北関東在住で直接大きな被害にあったわけではないけど、2日ほど停電が続いたな
ワンセグ見られる携帯はあったけど充電が出来ないから
いざという時のために垂れ流しはとてもできなかったよ
これからも守ってくれると思ったから、ねえ。
正直な気持ちなんだろうけどね。
※38
彼女と見たのは内陸の津波が来ない地域で見てたわけだから何の不思議もないが。
> 携帯は持っている。情報は入るものの、一番重要な現地の情報が入りませんでした。
> 津波です。逃げてください!その繰り返しです。
これ見ると普通にワンセグを意図した記述で、何もおかしくない。
安否確認したくてそれどころじゃない、なんてあんたみたいに楽な状況ではなく
まさに自分たちの身が危ない状態なんだよ。ニュース見て当然じゃないの?
※40
うん。完全に重箱の隅。
メールで連絡が取れたタイミングとか、ニュース、病名うんぬんとか瑣末で非常にどうでもいい。
自分は首都圏住みで実家・義理実家共に福島県・宮城県の沿岸部にあるけど、
地震直後〜1時間くらいの間に送った安否確認メールは取り敢えず届いたよ(相手先から無事との返信があった)
ただし電話は不通だったし、その後は停電だったから携帯の電池切れ予防の為にお互い連絡を絶ってたから
震災後数時間〜の状況は不明(その後の先方からの連絡は避難所の衛星電話?を使ってやりとり)
↑両実家の場所は沿岸部とはいえ津波がギリギリ到達しない場所だったから、波をかぶって壊滅した地域の通信状況についてはなんとも言えないな。
ちなみにテレビ・ネットの類は完全に見れなくなっていたから、数キロ先の海辺の町が壊滅しているのは全く分からなかったそうです。
この話嘘くさすぎるわ。
海がある場所に住んでる人なら分かると思う。
まぁ嘘ついて気分いいならいいんじゃない。
ちゃんと読み直してみたんだけど、地震から1時間で津波の映像なんか流れてたの?
ずっとテレビつけてたけどそんなの見れなかったけどな…。
あと家から海が見えるところにいたのに助かったんだ?
地域によるのかもしれないけど、私が住んでた所は海から近い場所(海が見えないくらいの場所も)は全滅だったよ。
家の形なんてどこも残ってなかった。
なんとは全壊をまぬがれてたのは山の影になってる家だけだった。
報告者の話が全部嘘だとは言わない。
でも経験した人にはわかるよ。変だって。
よくある読み物としては面白いけどね。
※48
映像が流れてきたとは書いてないよ
あ、彼女の家じゃなくてお店で見た映像のほうか
※48
津波到達は大きな第2波で30分後ぐらいから。
TV放送はそこそこリアルタイムで地震発生1時間後くらいには津波映像は流れてたよ。
例えばこれは震災発生から1時間半弱の中継映像。
www.youtube.com/watch?v=Z0_PhZ6-H6E
ずっとテレビつけてたのに見てなかったなら、
あんたの記憶のほうがおかしいんで信用しない方がいいと思うよ。
※48
自分の見た経験のみで申し訳ないけど、震災後に故郷に帰省する際に車窓から見た感じ
宮城県の岩沼〜仙台市に掛かる辺りの海沿い、福島県南相馬市〜相馬市辺りの海沿いでは綺麗に1階部分のみ空洞になっている家も多かった。
2階部分は綺麗に残ってるから、一時しのぎで数日避難する位は出来たんだろうなって思ったよ。
勿論土台しか残ってない家もちらほらあったけどね。
岩手沿岸辺りは30数mの津波が来た所もあるけど、福島・宮城辺りでは目の前が海でも上記の様な被害状況の箇所もあるという事で。
※48
この映像では発生45分後の15:30くらいから既に津波映像は流れている。
www.youtube.com/watch?v=LEnFxWaBnsE
むしろなんで1時間後に流れていなかったと記憶しているのかが不思議。
1時間後には津波が到達してて、当時中継もなんとか行われていたのに。
※45
それが瑣末ねぇ…
こういう話だからこそってのがあると思うが感覚の違いだね。
※54
で、メールが発生直後は届いたりもした件や、
テレビが内陸で停電しなければ見れた件、
ワンセグで見た可能性が高い件等ほぼすべて反論されている訳だが。
瑣末以外に何なの?
んな瑣末なことより、結果的に彼女の家の2階で助かったが、
津波が高ければ助けに行った2人とも死んでただろとか、
そういうことが本来指摘すべき本質ではないのか?低能ども。
むしろこういう点を指摘せずに、嘘だとかどうだとか言っているほうが疑わしいし、
体験したのに本気で言ってるならただのアホで代わりに死ぬべきだったんじゃないか?
エンタメ系読みものとして読んでる人には瑣末なんだろうよ
※56
あんた何言ってんの。
真偽はともかく、こういう話の※欄でそういうことがよく言えるもんだ。
エンタメ系読みものとして読んでないから瑣末なんだよ低能君。
※58
この米欄だからこそ憎まれてでも言うべきだろ。
結果的に助かったけど、この行動は完全に愚行だし、避けるべきだと教訓として語り継ぐべきことだろ。
それが本質で指摘すべきことだ、何も学んでないのか?
憎まれても言うべき(キリッ
いただきましたw
アイタタタ
この話の問題は、真偽がどうであれ、かなりの愚行を犯していて反面教師とすべき事案なんのに
スレ内の抽出された会話でも、コメント欄ですらも指摘されず、
美談として処理されていることだよ。しかも体験者と名乗っている人間もいるくせに。
嘘だとかどうだとか心底どうでもいいよね。
有能君の言ってることがおかしく感じるのは自分が低能だからなんだろうな、うん
わからないんなら津波が来たら助けに行って死ぬだけだと思うよ。
本当の被災地の状況をテレビで流さなかったせいで
想像力欠如のアホがコメント欄に溢れすぎている。
テレビでは映さない配慮ばかりしてたけど、実際どれだけ遺体あったと思ってるんだよ…
ううん、そういう話じゃないんだよ
そこがわからないんじゃないんだが、能力()が違うから理解しあえないと思うw
もったいぶって何も説明しない人の話は誰も分からないと思うよ。
※66
ご遺体がたくさんあって悲惨な状況だったことは疑ってない。
そうじゃなくて全体的な文章に違和感を感じるんだよ。
これ書いた人が被災者じゃないとは言わないけど、かなり創作が入ってないか?
創作なら創作でいいよ。PTSDなんてないほうがいい。
わたしは被災後、映画を見に行ってPTSDに気付いた。破壊音や木々がおれる音とかが大音量で響いて、それがまさに聞いた音そのままで鼓動がいっきに速くなって自分でもびっくりしたな
それから、同じ被災地でも地形や湾の形でそうとう被害は違う。
町が少し残った場所もあるし、そういうところでは被災者と被災してない人とが明暗わかれてきつかった。すぐ近くに住んでるのに。
見渡す限り全壊した地域もある。山肌を津波がせりあがった町もある。
メールは地震後一時間くらいは通話もできたし届いてた。津波で逃げられなくなった後に送ったメールがあるよ。
それからラジオは使えたしワンセグからも情報は入ってた。真偽のわからない怖い情報ばっかり。
多分5年もたって色々と記憶違いもあるんだろうし、そこにゴチャゴチャ言うつもりはない。
話して少しでもトラウマが解消されるならいいことだ。
作り話ならトラウマかかえたスーパーの店員はいなかったっていう、もっといいことだ。
後で冷静になってみれば愚行にちがいないんだろうけど、目の前の最も可能性の高いと思えることをやりきったってことだろ。
よくやったよ。
米60
津波てんでんこ、って忘れちゃいけない教訓なのに
すっかり忘れてる人が多いよね
ちーちゃんの言動は反面教師として読んだよ
イメージが難しくて、よくあるあんまり面白くない話だなーと思ったけど、5年前現実にあった話なんだぞ!って自分に言い聞かせてもやっぱり、ふーん ?そんなに背負うことかなー?って思ってしまう。ごめん
結局色ボケたまま終わったな
被災したけどこの話が嘘とは思わないよ。
地震で天井が崩れたし
津波が来る前なら携帯も使えたしワンセグでテレビも観れた。
津波被害は1階だけで2階で辛うじて助かった人も何人もいた。
創作ならその方がいいよ…
途中まで真面目に見てたけど
彼女とイイ感じになった時に周りの人がニヤニヤしながら見てたってあたりで自分の中で創作認定した
ラノベかよ
※60
彼女を連れて先に二人で緊急避難先の『町民体育館』に避難して待ってたら、どうなってたろうね
遺体の数以上の腕や足が落ちてたとか
遺体に挨拶してしまうとか
なんか壮絶すぎて
そういえば内陸は地震が来てすぐに停電したなあ…
信号機もつかず、道路がめちゃくちゃだった
※77
2人がいた場所は津波が来ていないところで、緊急避難先は十中八九『町民体育館』ではないぞ。
仮にそうだとして津波が来そうにない範囲ならその場でしのげばよかったはずだな。
医者がネットに詳細に書き込むことを勧めるなんて時代だなぁ
こういうのは患者が外部に言語化して吐き出したってことが大切なんだろうな
友人が被災したときの状況を話してくれたけど浸水したスーパーの中にご遺体が沢山いて、ボートで避難するときも水面に…と言っていた。自分は被害が少ない地域だったけど釣天井が落ちて亡くなった人がいる。嘘なら嘘であって欲しいよ。報告者がいつか克服できますように。あとワンセグ使えたけどテレビは全く役に立つ情報流してくれなかったなぁ
※43
自分もそこがモヤッたよ。
米81
ここまで深刻なものでなくても、自分の中の経験や思いや悩みを
何らかの形で言語化するのは結構いいよ。
そのことについて客観視できるようになったり、
浄化されたかのように、その思い出のことをほとんど思い出さなくなったり。
ネットは互いの顔が見えなかったり、利害関係のない人に「告白」するから
より、告白することへの心理的なハードルが低くなって良いのかもね。
※70 あなたのPTSDが和らぐ事を祈ってるよ
言語化はトラウマ克服の手の一つなんだけど
ネットに書捨ててあとは見る機会が絶対にない状況でないと
こうして創作だのなんだのとの批判が起きて
今度はウツを引き起こすので、こういうネットの利用の仕方は良くない
ハードルが低いのは告白者もだけど批判者もだからね
※86
何も知らない素人だけどそれ思ったわ
ネット(おーぷん)で書くなんて一番まずいんじゃないのかと
どうも文章がウソくさい。
臨場感がないというか、他人の目線っぽいというか…
ラノベくさいし。
PDSDとかわざとっぽく間違えたり。
聞いた話をつなぎ合わせただけなんじゃないか
被災地の内陸住みだけど津波の映像はワンセグで見れたよ
はじめは東京の工場が燃えてる映像ばっかりやってたけど
そのうち津波が到達してるという情報ばかりになった
あとは停電でどうにも出来ないから携帯温存して車のナビのテレビでひたすら情報拾ってた
メールは使えなくてもスカイプは使えたらしいね…。Lineはどうだったんだろう。
「復活の日」っぽいんだが…
※88
自分も恐怖体験を書いた時に嘘くさいだの
実際にそんな目に遭ったらパニックで時系列はメチャクチャになるし
詳細に覚えているはずが無いから嘘だと決めつけられたの思い出した
目の前に録画したように鮮明に覚えてたからその通りに書いただけだったのに
つまらないケチを付ける人は平和ボケしてる臆病者なんだろう
実際凄まじい状況だったんだろう。そんな事がなかった事にしたくて堪らないんだよ
もう五年だけどまだ五年だよ
こういう被災体験を語るのはしんどい上にこんな風につまらないケチつけたり心無い言葉を言う奴が居る中共有してくれる事は有難い事
創作ならこんな酷い目に遭ってる人が一人居なかったって事で
ネットの文章なんて話半分で読むものだし、PTSD克服の為に書いた文章でもフェイクは入れて当然だろう
辛かった部分を文章化するのが大事な訳だし
この話に限らず、創作かどうかなんてどうでもいい
メールはすぐに使えたし、携帯のワンセグでリアルタイムで津波が来るのも見た
携帯を持ってる人の周りに人だかりが出来て、みんなで絶句しながら見てたよ
私んち近い…と言ったまま口を手で覆って泣きながら見ていた女性もいた
居たたまれなかったよ
※95
確かに津波を携帯で録画してる人がたくさんいたよね
これはキツイ。
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