2020年04月21日 02:05
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今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その26
- 728 :名無しさん@おーぷん : 20/04/16(木)23:49:53 ID:7J.uc.L1
- 間接的な表現?が通用しない人に衝撃を受けた
以下は、私のテキトーな作り話。実際の話はもちろんもっと面白い。
例
架空の近代ヨーロッパを舞台にした小説で、
主人公の男女が国を支配する独裁者の悪事の証拠を掴み、世界中に暴露することに成功しそう
というところで、敵の襲撃を受け、散り散りに逃げる。
無事に再開できたら結婚しよう!的な会話をして
無事に情報は暴露され、独裁者は失脚し、
一年後、なんとか二人は再会できて、結婚しました、という話。
- 詳しく描写があるのは、仲間が散り散りになるところまで。
はっきりと二人は再会して結婚しました、とは書かれてないんだけど
ラストが
その国のカフェのオヤジの視点で、ラジオから流れてくるニュースで国の状況がわかる
店の外で、「一年ぶりの再会か」という勢いでいちゃつくカップルがいる、と説明が入る
カップルの女の指に指輪が光っている、という状況から
あー無事にくっついたのね、と分かる感じ。
それを読んで、主人公がどうなったのかわからない!
続編狙いか?腹立つ、みたいな感想の人がいたこと。
間接的な表現を好まない人もいるのはわかるけど、
割とその作者、全編その調子なのに、よくオチまでたどり着けたな… - 729 :名無しさん@おーぷん : 20/04/17(金)10:42:28 ID:Ir.av.L1
- >>728
間接的な表現を多用して、話にきっちりと落とし前をつけようとせず
のらりくらりと曖昧にしたがる作者に対しては
メディア展開や続編、スピンオフのための逃げ道づくりかと思って
げんなりするから大嫌い
それと、ベタな決着でも受け入れられる流れなのに
自身のストーリーテラーとしての力量不足のせいで
より大きな感動を呼び起こすような「読ませる」文章を書けないからって
着地点を曖昧にして後で言い逃れできる手法として
非特定伝聞ばっかりやらかしてるのもモヤモヤするよ
「どちらかわからない」ことがより深読みを誘って読後感を重くするような
そういう物語を読みたいよねー
すんなりハッピーエンドでいいような
読後感の軽さが良いところみたいな話で結末をぼかす理由って
「作者と出版社の都合」意外に見当たらないと本当にがっかりする - 732 :名無しさん@おーぷん : 20/04/17(金)23:55:22 ID:UK.av.L1
- >>729
思わせぶりで腹が立つ、は、そう思う人もいるだろうね…だけど
どうなったのかわからない!と怒るのはようわからん。
あと、例文は私のでっち上げなので、本はすごくおもしろかったんだよ
(個人の感想です)
本自体は、敵と味方の推理合戦、スパイ合戦がメインで、
主人公の恋愛と国の行方はおまけだったのでサラッと済ませた感じというか…
このあらすじもでっち上げなので説明が難しいけどもw
別に含みを持たせたわけでもなく、読めば結婚したんだな、おわりって感じだった。
作者の傾向的にもここからスピンオフはありえないし。
コメント
落語の『そば清』なんかも、本来は
人間を丸呑みした大蛇が、とある薬草を食べて腹ごなしする
⇒それを目撃した清兵衛という男が、こっそり薬草を持ち帰り、蕎麦の大食い競争に挑む
というプロットで、勝利した清兵衛が苦しい腹を抱えて便所に駆け込んだ後
いつまで経っても出てこないのを不審に思った人が見に行くと
「便所で蕎麦が羽織を着て座っていた」のオチで終わる噺だった。
でも、時代が下ると
間接的な表現だとオチが理解できない無粋な観客があまりにも増えたため、
「薬草は『食べ物』を溶かすのではなく、『人間』を溶かすものだった」
という解説の一文を追加挿入する羽目になり、
笑い咄をわざわざ理屈で説明するというダサいフォロー仕様になってしまった。
※1
自分が持ってる昭和49年発行の落語本に『そば清』があるから見てみたら
そのダサいオチだったわ
45年くらい前にはもう手遅れだったんだな
流石に人を溶かすって発想はでてこねえわ
男女がデートしてベットで朝が来なければいいのにって女性のセリフで不倫を匂わせてるのが理解できない人ならいた
ボーンシリーズの最後で死体は見つかってませんってところが理解できない感じか
大変だな
ラピュタコトメ思い出す
※1
ネタバレ部分読まないとオチの意味全然分からんかったわ
蛇が人食う時にヒントでもあるのかと思って調べたけどなかった
ただ解説サイトのあらすじ読むと、人を溶かすという説明が、「そば清」には無いっぽいけど、元ネタ(らしい)の「蛇含草」だとあるみたいだから、時代を下って悟れなくなったってわけじゃないのかも
…義務教育中に落語本レベルでいいから読ませろよ
まさか『そば清』を知らんやつがこんなにおるとは
そっちがびっくりだよ
小説って曖昧な表現しといて読者騙してくることが多々あるから
結末が直接的な表現じゃないと納得できないって話は分かる
蛇が薬草たべてはらごなし
それみた人間がその薬草使おうと持ち帰る
の時点でいみが大体よめて、
トイレでそばが羽織りきてたって落ちで、そうきたか!と、わらえる。んじゃないの?理解できなくて調べるばかまでいんのか。ご愁傷様。
※4
そういえば、『恋におちて』の歌詞も、金妻の主題歌ってのを抜きにしても
「どうしても口に出せない願いがあるのよ」「土曜の夜と日曜のあなたがいつも欲しいから」
「ダイヤル回して手を止めた」と思いっきり言ってるのに、
ただのラブソングとして
「電話を掛けるのにもドキドキして真っ直ぐ恋してた頃の自分を思い出します♪」
「今 彼ができた私にもとても共感できて、せつなくて好きな歌です!」
「結婚式のお祝いで歌いました」
みたいな感想がネット上に多く並んでいてビビった。
こういうのダメならあだち充の漫画なんて読めないね。
こういう人は多分魍魎の匣のラストも理解出来ないんだろうなあ
※1
元々それは典型的な考え落ちだからなぁ
子供のときなら
人間だけを溶かす薬草がある、という設定にノレたと思うけど
大人になると
人間のDNAやたんぱく質やら骨、ケラチン質を他の動物のものと選別して
それだけを特異的に溶かす植物、という設定が現実的ではないと無意識に判断してしまって
オチが理解できないだろうな
気がつかない人たちは気がつかないまま現状維持。
気がつく人たちは理解して一歩前に進む。
きっと、見える景色が違うんだろうなー。
行間読まない情緒を理解しない無粋な人間が増えたってことでしょ
この手の人間がコメ欄でもズレた解釈をして明後日の方向に暴投した※を連打する
婉曲表現を嫌らしいスピンオフ狙いって受け取るとか頭がおかしいよ
※15
何言ってんだこいつ
食べ物を溶かすにしたら
蛇も食べられるものだから逆におかしくならないかと思ったw
なんで作品名を伏せたんだろう。賛否両論でもあるのかな?
伏せ字でもいいから出してくれたらいいのに。
この書き込みによって読む人が増えるかもしれないのにねぇ。
※18
読み手の知識が増えると様々な解釈の仕方が生まれてしまい正解に辿りつきづらくなる場合もある、という事だろ
子供向けのなぞなぞが大人には時として難問になる、というのと構造は一緒
※20
ラストを紹介しないといけないから、ネタバレになるんじゃない?
※20
普通にオチのネタバレになるからだと思うよ。
本読むのが好きな人の中には、絶対ネタバレダメ!
な人もたくさんいるから気を使ってるんだと思う。
私は今はそこまでネタバレ気にならなくなったけど、
昔はめちゃくちゃ嫌だったから面白いという本を読みたい
あなたの気持ちもネタバレしたくないスレ主の気持ちもわかる。
昔、有川浩って作家が、好きな本を語る際に1番肝になるネタバレ
してて、その本読んでたから腹がたったなぁ。
※11
ラストにひえっ…てなるな
アスの人では?空気読めない、行間読めない
※11
12月に行われる結婚式のBGMに「ラスト・クリスマス」流すのもいるからなぁ…
※1
私は、薬草は食べたものに変身できるアイテムで
大蛇はその後人間に化けた→蕎麦を食べた人は蕎麦になった
だと思ってたw
30年位前に藤本ひとみがヒットした理由を質問されて「行間を書く」と言ってた。
今の子は行間を読むとか推察することができないので、全部書かなくちゃ通じないと言ってた。
そっからひと世代経っているわけだから仕方ない。
「消化を助ける薬草」だと思ったらまさかの「人間を溶かす薬草」で、「そうきたか!」hahaha!
となるわけで…そうか…そこにたどり着かない人が増えたのか………。
729はアスぺやろこれ
指輪が光ってたって、他の人と結婚してたんじゃないのか
そこから続編ができる
でもほんとに行間を読めない人増えたなあって読む系のサイト見ててもつくづく思うわ
2ちゃんまとめ系でも、投稿記事からこうだろうなって比較的容易に類推することができる事に対して「ここがどうなのかわからない」ってかみつく人がいたりするのみるとげんなりする。
そりゃいるよ
読解力の差は人それぞれ大きく異なってる
誰もが文庫本1冊の小説をサクっと読んで簡単に理解できるなら
国語のテストやセンター試験の点数はバラけたりしない
そして読解力に乏しい人間が読書にチャレンジすることも当然あるし
誰でも最初はそうやって読書の楽しみ方を覚える
わし国語屋で、高校模試の採点してるけど記述問題で、なんで? こんなことどこにも書いてないじゃん!
な、びっくり回答が多々ある中、へぇと唸りたくなるような着眼点で書いてくる子もいる。
悲しいのは、決して後者が模試においては正解になるわけではないってこと。
昔のハリウッド映画をよく見るけど、ラストはしばしばキスシーン、んで観客は満足して帰る、
単純で幸せな時代だぬ。
つまり、今の人は俳句ひとつ取り上げても「何が言いたいんだ!」ってキレ散らかすんだろうかw
ギリギリ昭和生まれのおばちゃんには理解できない世界だわ
一から十まで説明しなきゃ分からんって恥ずかしくないか?
分からんならそれでもいいけどキレるなよ
ちょっと前のアニメで異世界転移系でヒロインが主人公に別れの時に「いつか必ずあなたに会いに行く。だからあなたの世界で待ってて!」みたいなこと言う場面で「告白もしてないのに押しかけ宣言って厚かましい」って言ってる人がいてええ…となったなあ
その会いに行く発言こそが告白では…主人公も頷いてるのに
もっと昔だと、漫画で泣いているのをごまかすのに「雨が降ってきた」と言ったキャラの心理が理解できなくて作者に「なんで晴れてるのに雨なんて言ったんですか?目が悪いんですか?」って手紙が来て作者がわかりにくかったのかと頭抱えたなんて話もある
※1
それそれ。
直接的表現じゃないから面白いと思うんだが
わざわざ「人間を溶かすものだったのだ」と蛇足つけないと
意味がわからないって…。
15年くらい前にフランス人の映像監督のインタビュー記事を読んだけど、
「日本の漫画は最初から最後まで説明している作品が多い。読者に想像の余地を残してくれない」ってな感じのことが書いてあった。
余所の文化の人から見てもそう思われちゃうのかーって思ったな。
目の見えないキャラが交流を通して「見えなくてもわかる、貴方は優しい顔をしている」と言ったら、エスパーなんだと解釈する読者がいた話を思い出した
※15
あー…、物語を読みこなす前提事項として
「基本的知識」というか「文化的背景の暗黙の了解」も重要なんだな、と思った。
人間を丸呑みできるレベルの山中の大蛇、というのが日本の昔話で登場したら
それは実在のニシキヘビとかの類でなく(そもそも日本には居ない)、
“人を化かす狐”“人に化ける狸”などと同列の“妖怪”キャラなんだよ。だから、謎の薬草も使いこなす。
(他の伝承でも、巣に小判を貯め込んでたり、煙草のヤニが弱点だったり、定番設定がある。)
だから、その時点でジャンルは怪異話の色調を帯びて、
化学的メカニズムが~みたいなツッコミは野暮な茶々入れになる。
昔はジブリの耳をすませばの内容あんまり理解出来なかった(原作漫画も読んだけど映画と違いすぎてびっくりした)おばさんになった今は胸に来るし、涙腺にも来る
逆に映画のナウシカは大好きだったけど漫画読んでえらくショック受けた…
ジブリは、知ると見方ががらりと変わるようなことが
「普通このくらい一見でわかるやろ?」と無造作に仕込まれてて油断できない
※35
それハガレン?
※42
ハガレン
アニメでも同じような問い合わせが来て監督が「ええ…」ってなった話を雑誌でしてたよ
英語でも「文脈」概念はあるんだけど(textに対するcontext)、それにマジ切れして文句言ってる人なら受験生時代いたな。
一定以上の偏差値の大学の英文学科とかなら英語の長文読解でcontextも当然問われるんだけど、「現代文苦手なんだよ。現代文じゃないんだからこんな問題出すのおかしい!」とか。
いや、その考え方こそおかしいだろと思ったけど。
アメリカ人もイギリス人も人類なわけだし、彼らは彼らの「文脈」で話したり書いたりするのは当然なんだから。こっちはそれを読み取らないと。
英語は暗記知識だけを元にした知的パズルではないんだから。いや受験英語にはそういう性質もあるのは事実だけど、それだけでは済まなくなってきて、日本語現代文読解を異言語でやるような要素もやっぱり出てくるよね。
まあ日本語はかなり文脈依存の言語で、英語はさほどでもないらしいけど。
シスターと子供たちはビッグマムが無意識の間にビッグマムに食われた
と分からない人なら居た
FF15のことかな?一時ネットがアスぺだらけになったな。
文字の説明じゃなく「表現」で表したら途端に理解できなくなる奴多数。
「着物着たそば」の絵を見たことがあってそれはそばが人の形してた
それじゃあ「人を溶かす」オチには繋がらんと思ったわ
なんでアスペって異様に増えたんだろう
生活習慣とかに何か原因ありそう
※8
雨月物語も累ヶ淵も耳なし芳一の別バージョンの耳切り団一も知ってるけどそば清は初めて聞いたわ
「そばせい」の最後を理解できない現代人がバカだというなら
江戸時代の人は最後を聞いただけで
「なるほど、つまりあれは人間を溶かす草だったのか!こりゃ一本取られたね!」
って一瞬にして理解できる人間ばっかりだったの?
そばせいマウント兄貴おせーて
深読みで有名なのはFF7のエアリスの「スラムの花売り」設定かな。
「ああ」と納得して実際に花が描かれてるシーンも含めてある種の隠喩なのだと解釈する派。
「スラムで花なんか売れるの?」と大真面目に疑問に思う派。
「作中で実際に花が描かれてるんだから、ほんとにお花屋さんなんだろ」と主張する派。
海外ですら同じような論争になってたっぽいのがなかなか興味深い。
ペルソナ3やTOAとかさ、最後主人公がどうなったのか操作側に委ねられるタイプのEDとかコイツら発狂しそうw
結局どうなったんだ!ってさ
落ちまで全部書かなきゃならないとか表現の幅が狭まって面白くないよな
※50
江戸時代の人々に好意的な解釈をするなら、今の時代よりも日常的に入ってくる情報の総量が全然違うから、少しの情報から自分で解釈を広げたり察したりする機会が多かったと思う
インターネットが身近な環境では疑問に対して「正解」にアクセスできてしまうから、疑問が湧いた際にまず自分の頭で考えるという過程はすっ飛ばされるし、それが自然な流れだろう
たぶん江戸時代にもそば清のオチの意味が分からない人もいたと思うけど、周りの人に聞くなり自分で考えるなりして完結していたと思う。対して現代では物語の作り手に対して意見を送る敷居が下がってるから、そういう「理解力のない人」が見えやすくなっただけじゃないだろうか
誰かが制作側に感想を言ってるのを第三者が見つけやすくなっただけで、特にそば清みたいなオカルトめいたオチの理解力が江戸時代と現代で大きく違うとは思わない
>>53
戦前くらいの落語がどのように受容されていたのかは、諸説あるよな。
まず観客は全て演題の内容を知っているのが大前提で、なおかつそれを如何に面白く演じるのか、あるいはどう変奏するのかで、噺家の腕が問われる芸だったという説もある。
たとえばそば清なら話術だけではなく「いかに美味そうに盛り蕎麦を食って見せるか(扇子を箸のように使って蕎麦をたぐるなど)」が重要だったり。
想像するに、アニメとかで原作知ってるのが大前提で、それを映像化でどのような動画になり、どのように声優が演じ、どのように原作から変奏していくかで喧々諤々の議論になってたりするけど、あるいはそれに似た形のエンターテイメントだったのかも知れんとか想像しています。
内容知ってる原作でも、ファンは楽しんでるもんな。
ただ「竜田川」なんかは、最近は説明されないと小倉百人一首のネタのギャグなのだと通じない人が増えたみたいな時代の変遷が、1985年連載段階の「美味しんぼ」7巻で語られていたりする。
35年前の時点ですでに小倉百人一首だという元ネタがわからない人が増え、なおかつ演題の内容も把握しているわけではないという現象が現れていた傍証のひとつではあるとは思う。
今なら下手すると、説明されてもわからない層が出て来てるかも知らん(百人一首?みたいな)
ごめん二か所訂正。
想像するに~想像しています とか凄い悪文だな。
あと落語の演題としては「竜田川」じゃなくて「千早振る」ですね。
単なるアスペの話だった
※53
せっかくだけど上のそばせいマウント兄貴に意見を聞いたんだ
>>32-33
国語のテストは…、あれはあれで「いや、作者が云わんとしてるのは、そういう事じゃなくね?」
みたいなのが模範解答に挙がってるケースも往々にしてあるからなぁ…。
(教育上の意図でか、妙に品行方正で教訓的な解釈に強引に寄せてたり。反戦モノとか特にそう。)
センター試験なんかも、毎年のように各高校の国語教員や塾講師からツッコミが入る設問が発生する。
小学校高学年の頃だったか、図書室にある各教科の学習読本みたいな図鑑(?)で
『浜辺の歌』の口語訳が載っていたページがあったんだけど
(そもそも口語訳が必要な程の文語とも思えんが…
『蛍の光』の「いつしか年もすぎの戸を~」と流れるように続く掛詞や
『仰げば尊し』の「今こそ別れめ」が係り結び、みたいな古文特有の技法も使ってないし…
「あした」「ゆうべ」が「翌日」「昨夜」ではなく「朝方」「夕方」の意味だという註釈で十分な気がする)、
それの「昔の人ぞ しのばるる」の箇所が、「太古の人もこんなふうに海を眺めたのだろうかと想いを馳せる」
となっていて、思わず「はぁ!?」となった。
いや、その文脈の「昔の人」って、べつに古代人って意味ではなく
別れた恋人なり、死んだ家族なり、疎遠になった友人なり、語り手にまつわる過去の人
―――というか、あの抒情的なメロディーで 朝な夕なに浜辺を眺めて偲ぶ「昔の人」って
かなりの確率で「不本意な別れ方をした元恋人」では、と、小学生の当時でも直感的に思った。
何なんだろう、本当に編者が「昔の人がしのばれる=古代人の暮らしが想像できる」の意味だと
思っていたんならお粗末すぎるし、子供向けだからと思って意図的に色恋沙汰を避けたなら
見くびりすぎじゃないだろうか。
(ちなみに、古典では「昔の人」は「過去の恋人」もしくは「故人」を指してよく使われる。
また、散逸して断片的にしか残存していない3~4番の歌詞から
天候(≒周辺事情)の急変、赤裳の裾を波に濡らす女性、いったん病身となったのち
回復したらしき語り手の描写、「まなご(=愛しい子)」の今を案じる心情、などが読み取れるが、
「結核か何かで鄙びた海辺のサナトリウムに転地療養し、恋人と別れざるを得なかった」という解釈と、
作詞者の身内の経歴も考慮し「我が子と離れ離れになり(のちに夭折)、
一時 気を病んだ母親が落ち着いてきて、後生を祈っている」とする解釈とがあるそうな。
後者の場合、「貝の色も」の歌詞は、土佐日記の「忘れ貝」のくだりの本歌取りと見る。)
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