2020年11月22日 00:05
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1444706536/
チラシの裏【レスOK】三枚目 Part.2
- 958 :名無しさん@おーぷん : 20/11/17(火)00:19:42 ID:HSj
- 私は最近5ちゃんねるやおーぷんを知って
「若い時にこういうものがあればなあ」と思っている、じき60歳のアラ還
離婚したのは30年近く前
年寄りのだらだらした自分語りだから面倒な人はスルーしてね
夫家族には全員「元」がつきます
- 先に3行でまとめておくと
直接の離婚理由は夫の不倫なんだけど
トメ(夫の母親)が不気味過ぎて、離婚話が出た時に喜んで応じてしまった
でも今は、「トメはウト(夫の父親)のせいで、心が壊れていたんだろうな」と思っている
夫は大学の1年先輩で、早くから結婚するつもりで互いの家の事情も話し合っていた
それで結婚当初から義実家で同居だったけど、納得のうえだった
でも夫は大事なところは私や私の家族に言ってなかった
まずびっくりしたのは、ウトにはお妾さんがいた
盆と正月は、お妾さんの家に挨拶に行くよう申し渡された
その家はウトが建ててやって通っていた、「別宅」だった
ちなみにお妾さんに子供はいない
夫に「なんでそんなところに行かなきゃいけないの」と食ってかかったが
「第二の姑みたいなものだろう」とウトと夫に説教され、それ以上言い返せずしぶしぶ従った
このあたりは「いい嫁キャンペーン」てやつだった
トメに「あの人(お妾さん)のことって、お義母さんはいいんですか?」と聞いてみたことがあるけど
「無口で何を考えているかわからない」(夫談)というトメは「まあね…」と言うだけだった - 959 :名無しさん@おーぷん : 20/11/17(火)00:21:14 ID:HSj
- 958の続き
当時は携帯電話は普及してなくて、固定電話が各家庭に1台という時代
その頃の一戸建ては、たいてい玄関から茶の間に通じる廊下の脇に電話台が設置されていた
私や友人たちは結婚したり仕事が忙しかったりであまり遊べなくなったので
仲の良い友達と電話で話すのが息抜きだった
ある日、友達と電話でキャッキャと話していて
ふと気配を感じて振り向くと、トメが後ろにいる
それも、私と背中合わせで30センチくらいしか離れてないところに静かに立っている
トメと私は同じくらいの背丈なので、私の目の前にトメの後頭部があった
悲鳴を上げそうになって、早々に電話を終わり
「何してるんですか!」と怒鳴りつけたら、何も答えずに茶の間へ消えていく
追いかけて「ひとの電話を聞いてないでください!」と言うと
「ああ…」とそっぽを向いたままつぶやくだけ
気持ち悪いので夫に訴えると「なんか(私に)用事があったんだろ」とスルーされた
別の時、私の妹からの電話で、仕事の愚痴を聞いてやっていると
またもトメが背中合わせにヌ~ッと立っている
たぶん、私の電話が長話になって、私がそっちに気を取られているのを見計らって立っている
腹が立ったというか邪魔だし、妹のあれこれの事情は知られたくないので
トメの背中をドンと押して、手ぶりで「あっちへ行け!」と示すと
トメはそのままぬるぬるとした足取りで茶の間へ消えた
もうやらないだろうと思ったら
また別の電話の時、今度は「押されないようにしよう」と思ったようで、足元にしゃがんでいた
危うく蹴り飛ばすところだった
ウトや夫がいる時は私も長電話はしないので
トメと私しか家にいない時、私が電話しているとこれをやる
その都度、「あっちへ行け!」と示すと、おとなしく去る - 960 :名無しさん@おーぷん : 20/11/17(火)00:23:07 ID:HSj
- 959の続き
何度トメに怒っても夫に訴えてもらちが明かず
いっそテレホンカードを買って公衆電話を使おうか(←当時の若者は、長電話を親に叱られるとそうしていた)
と考えていたところ、その電話に、夫の不倫相手がかけてきて、夫の不倫が発覚
今度は離婚の話し合いで、私の実家や弁護士との電話が増えたが
トメはもれなく近寄ってきて後ろに立ったり足元に(ry
私も気が立っていたので、片手に受話器、片手に電話機を抱えて
トメを肘でガンガン小突きながら茶の間に追い込むという乱暴なことをしていた
他に嫁いびりらしいことはされたことがない
というか、思い出してもトメと「会話」した記憶がない
ウトは会社帰りに夕食をお妾さんのところで食べて、夜遅く帰って来るので
トメは自分一人の食事を一人で作って食べていた
私が「一緒に作って一緒に食べましょう」と誘っても生返事するだけで、加わってこなかった
今、自分がトメ世代になってみると
多分トメは寂しかったんだけど、私とどう接していいかわからなかったんだろう
だからって私の電話を私にくっついて聞いていていいということにはならないけど
私が出ていく日、荷物を積んだトラックが出発し、最後に玄関でトメに挨拶すると
トメはうなずいた後、初めて「何か飲む?」と文章で私に話しかけた
驚いて「はい!」と答えると、冷蔵庫から「不二家のネクター」の缶を一つ出してきて、私にくれた
今まで缶ネクターをこの家で見たことがない
私のために一つだけ買ってくれたんだろうか、それがなんでネクターなんだろうか
いろいろ言いたかったこと聞きたかったことが浮かんであわあわしている私に構わず
トメは「じゃあね…」と言って私に背中を向け、茶の間にぬるぬると消えていった
それから夫とは連絡を取ってないのでトメもどうなったかわからないが
新嫁(夫の不倫相手)とうまくやっていけたんだろうか - 961 :名無しさん@おーぷん : 20/11/17(火)00:31:58 ID:2Gj
- >>958-960さんとほぼ同年代だわ。
私も離婚歴があるので当時2ちゃんがあったら
(あったのかも判らない。知っていたら?)
全然違った今があったかもとふと思うことがあるわ。
今はお幸せなのかしら。
こうして書けるという事は過去の事は吹っ切れていると思いたいな。
コメント
ぬるぬると消えていくって表現上手いな
情景が浮かんできて、軽い小説みたいだった
表現上手いなー
執筆業の人かな
文章上手いな
数十年前の話ということで全体的にセピアな雰囲気なのに、最後のネクターだけが桃色に鮮やかに感じられて効果的なアクセントになっている
昭和の時代は桃缶とかネクターとかなんか高級なイメージあったんだよな
最後の選別に1缶だけ買ったのかな・・・
缶ネクターがなんだか物悲しいな
女流作家の書くホラーっぽい
何かホラーなんだけど悲しい話だわ
楽しそうに?色々話している嫁の近くに居ることで、自分も話に加わってる気分になりたかったのかな。なんか可哀想な人だな…
負けずにどつき返してて強い!
携帯電話もインターネットもない、そんな時代に家庭でも外でも孤独なのは想像できないくらいにつらいだろうな。
もうちょっと整えたら文学作品になりそうなレベルだな
※3
あなたの批評読んで自分も色あせた世界の中でネクターだけはっきりとした色で想像していたのを自覚した
そういう文が書けるのもすごいけど読み取ったものを文に出来るのも凄いね
昭和の頃には都会だろうが田舎だろうが妾かこってるおっさん多かったよなあ
地元に本妻以外に3人囲ってるジジイいて色々エグかったの覚えてるわ
※
なるほどと思ったけど缶の色は鮮やかなわりに
ネクターそのものはぼけた暖色なんだなあ
ドロドロしているんでそのあたりも印象的
アラ還でもトメとか(ryとか知ってて句点なし文章を書いたりするんだね
生まれる前の話でよく分からんけど、トトロの家にある電話みたいな感じ?
※15
30年前だったら黒電話だよ
のび太やサザエさんちの廊下にある電話
おじろく・おばさをちょっと思い出した
周囲からの抑圧によって感情も知性も鈍麻した感じが…
強い嫁さんでワロタ
※16
いやさすがに30年前には黒電話をはじめとするダイヤル式は
もうだいぶ減ってたよ
プッシュホンが主流、子機つきの親子電話も普通にあったよ
母親がよくこういう長電話してたけど、うるさかったわ
※16
30年前「以上」前なら昭和に足を突っ込むけど、30年「近く前」だから確実に平成よ
いわゆる日本で今の形の押しボタン式が出たのは51年前(1969年/昭和44年)
コードレスが出たのが32年前(1988年/昭和63年)
FAXが出たのが24年前(1996年/平成)だから
平成時代には黒電話は壊滅的だと思うの…
※20
FAXは平成8年でした
報告者の時代的にはFAX出るちょっと前くらいだと思う
30年前なら黒電話でも別におかしくはないね。
その頃新しく電話を買った人は違うだろうけど、その前から黒電話だった家庭が買い替える必要はなかったはずだから。
25年前だと一般家庭には黒電話なかったけど
学校とか古い公共施設にはたまにあったな
30年前だとどうなんだろ
30年前は1990年なんだぜ
昭和の感じするだろうけど平成なんだよ
まあ、友達の家は黒電話だったしケータイもごく一部の人間がでかいヤツを持ってた程度の時代だから不自然でもない
関係ないけど実家はなぜか10年くらい前まで黒電話だったわ
友達の携帯にかけるのに090がダイヤル戻ってくるまでめんどくさかった思い出
なんかわかるわ、曽祖母がこんな感じだった
祖父母がめちゃくちゃ虐めてた
両方亡くなった今思い出すと曽祖母の方がまだ可愛らしい愛嬌があったな
うちは田舎なこともあって、25年くらいまでは黒電話だった。友達の家でもほとんどが黒電話で、プッシュホンやコードレス電話、親子電話は羨望の眼差しだった思い出がある。
逆に学校や公民館はプッシュホンだったな。
電話台って懐かしいな
電話帳とタウンページが入ってるんだよな
あと近所のお店の出前メニューなw
書いてる人30代だね。
長電話の無言の抗議だったんじゃないのって思った
お姑さんがなんかめちゃくちゃ淋しそうで可哀想。
このお嫁さんみたいに強く自由に生きたかったとか、私も離婚して一人で生きてみたかったとか色々思ってたのかな・・・
ネクターのエピソードが物悲しい。
コメ欄序盤のネクターに関する考察?もよかった
うちの実家の黒電話はプッシュホンと違って壁からコードが生えててそれにつながっている(電話機にも壁にもコードの差込口がない)タイプだったよ
だから平成中頃に家をリフォームするまて黒電話だった
また昔は女の人は離婚すると非難されたからなあ…
もし相談すれば報告者さん話を聞くくらいはしたんだろうけどね
そうする気力もなかったんだろうな
祖父宅の黒電話は令和になっても現役だったよ
祖父が亡くなるまでずっとずっと働いてたなぁ…
実家にも自分が小学校低学年のころにはあったけど(ある出来事にその黒電話が関わっててめっちゃ記憶に残ってる)、あの黒電話どうなったんだろう
アラ還30年前近く…とすると30目前の結婚だったのか
それで子供もできんうちにリコンか
ウトの別宅もちは置いといても良く旦那の浮気程度で離婚させてもらえたわなと
便乗話であれだけど私の叔父も長いこと不倫で揉めて多様で最後は妻子捨ててその「元」愛人と
今は愛人母とともに暮らしているけど子供はないようだしなぁ…作らせないのがどちらも賢明であったんだろうかなと
でも当時2ちゃんねるが存在しててもどうにもならなくない?
なんか可哀想なトメだなぁと思ったけど、ネクターのくだりでなんとなく救われた。
27歳だけど、黒電話はちらほら見かけた事あるよ。
なんか悲しくなった、自分の人生は自分で大事にしなきゃな…。
親が約30年前に結婚したときに買っただろう電話はプッシュ式だけど、祖父母の家とか昔から買い替えてないところはまだ黒電話だったな
ネクター飲みたくなってきた
美味しいけど、飲むと余計に喉が渇くんだよね
2chっていつ誕生したのかと思えば、1999年5月だった
義母は孤独で、人間関係構築が苦手だったんだろうな
今頃5chやガルに入り浸っていればよいが
※43
元嫁にネクターを渡しぬるぬると暗い家の中へ消えていく姑
余韻の残るラスト
~スタッフロール~
♪~
「夫が妾宅に入り浸り息子も不倫して嫁が逃げた孤独な老婆だけど質問ある?」
悪くないこのオチ
でもこれはトメさん可哀想ね。
鬱もうつで生きているかもわからないような感じだったんだろうに
時代背景から、そんなものは理解されなかったんだろうね。
※44
すき
不二家のネクターの香りと味まで蘇るような感じ
この義母にとって良いものを最後に嫁にあげたかったのかな
コメントの投稿
「トメ」「コトメ」などの意味がわからない場合は「2ch用語集」をご覧ください。
本記事について管理人へのご意見、ご要望はこちらのメールフォームにお寄せください。