2022年01月11日 15:05
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何を書いても構いませんので@生活板116
- 982 :名無しさん@おーぷん : 22/01/06(木)19:23:32 ID:0l.pp.L1
- 30年ほど前の事を1つ投下。今のご時世なら、もう起こりえない事だと思う。
実家に住んでいたころ、ある日を境にあるおじさんが道を通るようになった。
そのおじさんは非常に目立っていた。リヤカー屋台のような物を引きずっていたからだ。
- ただ赤提灯には何も文字はなく、笛を吹いてるわけでもなく、
焼き芋屋のような「おいも~♪」なんて声も出してない。謎のおじさんだった。
当時子供だった自分は、その目撃情報を父に伝えた。
父は見かけたら声かけてみるよ。とだけ言った。
それからしばらくが経ちビニール袋片手に、早めに父が帰ってきた。
それは何?と聞くと「前に聞いてた「謎のおじさん」から買ってきたものだよ」と言い、
そのままキッチンに行った。
そして出てきたのは熱々のおでんだった。
あのリヤカー屋台のおじさんはおでん売りだった。
父が聞いた分には「秋~冬の終わりまで週2~3回おでんを売りまわってる。
いつも同じ時間帯に出発している、500円で約10個の具を売ってくれる」
だそうだった。
同じ時間帯に出発してるので、いつも17時半~18時くらいにこの道を通るようだ。
1度会ってみたくて、500円を握りしめて待っていた。本当におでん屋だった。
自分はタマゴが好きだという事を伝えると
「じゃあ、サービスだ」とタマゴを2個追加してくれたことは未だに記憶にある。
たまにおでんが売り切れ間近になってることもあったらしく、
目立ってるにも関わらず知る人ぞ知るおでん屋と化していた。
今じゃ考えられないが、それが5年以上続いた。
少なくとも我が家では、おでん屋のおじさんがくると「ああ寒くなってきたか」と、
風物詩になっていた。
ところがある年、おじさんがおばさんに変わった。
事が理解できる年齢になってたのもあり「ああ…もしかして…」ってなった。
そのおばさんも2年きたっきり、こなくなってしまった。
今じゃ食品衛生法に引っかかるし、不審者扱いされるだろう。
仮におでんを売るにしても立派なキッチンカーとかで売るだろう。
だが自分は、絵に描いたチャルメラのようなものがそっくりそのまま
出てきたおでん屋を忘れない。 - 985 :名無しさん@おーぷん : 22/01/06(木)21:24:57 ID:Fe.3i.L2
- >>982
絶対に美味しいヤツやん。
小学生の頃によく買いに行ったわらび餅を思い出した。
夏の間だけお爺さんがリヤカーで売りに来ていて、
弾力のある冷たい透明の餅と濃厚な黒蜜が絶品だった。
20年程前で食品衛生に煩くなってきた頃で、母親からは「汚いから買うな」って言われていたけど
毎日こっそり友達と買って公園で食べていた。
中学生になったくらいに、売りに来なくなってしまった。
思い出補正もあるだろうけど、人生で一番美味しいわらび餅だったわ - 988 :名無しさん@おーぷん : 22/01/06(木)21:56:23 ID:NQ.pp.L1
- >>982
昭和~平成初期までかなあ
うちは地方都市のあるところだけどわりとちょっと前まで似たようなおじさんいたなあ
年期の入ったワゴン車でポン菓子を炒ってるおじさん、べっこう飴を作ってる老夫婦の屋台、
ボロボロの軽トラでラーメンやわらび餅売り歩いてるおじさん等々
そんなおじさんはだいたい村の知り合いだからか、
じいちゃんが「今日あすこにわらび餅来とるわ」て居場所をかぎつけて買いに行ってたw
今思うとケータイとかなかったのにどうやってじいちゃんはかぎつけていたのだろうか…
コメント
焼き芋とラーメンと餃子しか知らないなあ
どれももうほとんど回ってこなくなったけど
ポン菓子作ってくれるオッサンのところに小遣い握りしめて「ちょーだい!」と言ったら、米を持参しなきゃいけないと言われて泣きそうになった半世紀前を思い出してちょっと切なくなった
むかーーーしむかし、水あめ買うと紙芝居をみせてくれてた。
不定期だったようで、毎日20円握りしめてあの場所に行ってたけど、来るときと来ないときがあった。ある日、おじさんはついに来なくなった。
絶体絶命のピンチに追いやられた黄金バットの運命が、50年近く経った今も気になってしょうがない。
子供の頃来てくれてたラーメン屋のチャーシュー美味しかったな
分厚くてホロホロ柔らかくて最高だった
リヤカーに乗せてお豆腐屋さんが家に来てたのを思い出した
ラッパで「パー⤴︎プー⤴︎(とーふー)」って鳴らしながら来るからすぐあ、お豆腐屋さんだ!ってお鍋とかボウル持って勝手口からもらいに行ってたな
平成一桁年の話
食べ物ではないが、30数年前大学で東京に住んでいた時の事。
夏に下宿前の軽自動車がやっと通れるかという道を、お爺さんの金魚売りがリヤカーを引いて売りに来ていた。
一緒に風鈴も売っていて、たくさんの鈴の音と、「金魚〜え〜金魚〜」と、マイクも使わないお年寄りの甲高い声が響いていた。
その頃でも既に昔の風物詩で、一瞬タイムスリップしたかと思う夏の昼下がりでした。
小学校の近くにポンポン煎餅っていうの来てたわ
いわゆるポン菓子なんだけど型に入れて圧力かけるから煎餅みたいな形になってるんだよね
下校時間にいい匂いさせて作ってるから大急ぎで帰っておこづかい貰って買いに行ったな
千葉だけど、アイスクリームとホットドッグの大学堂っていう移動販売が有名だった。
店主高齢化?により数年前廃業…テーマソングを聴いて育ったから未だに歌えるわ
福岡だけど未だにリヤカーわらび餅がいる。70年以上やってるとこで、結構な広範囲をほぼ毎日まわってる。範囲が広過ぎて神出鬼没だから見つけると絶対買っちゃう。
ウチの近所もラーメン屋とおでん屋さん来たなぁ
平成半ばにはどっちも実店舗が閉店して終わってしまったな
それ以外だとパン屋がたまーーーに移動販売してくれてたのに
コロナ禍でやめちゃったみたいで悲しい
紙芝居は懐かしいね。水飴や型抜き。
今の子供たちは衛生第一で身体も弱くなっているのか?
私の時代は不潔だったからこそ免疫力もついたのかと思ってしまう。
千葉にも大学堂回ってたんだ?メインは東京の下町だよね
>>8
東京の下町界隈に出没してて、よしもとばななの小説にも出てくる大学堂ね!
千葉が本拠地だったと廃業の噂を聞いてから知ったよ
夜にあの♪アイスクリームアイスクリームアイスクリームだよ〜ホットドッグ〜ホットドッグ〜♪って爆音(音割れしてる)が遠くから聞こえてくると「街宣ウ◯クか…?いや違う!」って財布持って出て行ったものだわ
下町だから大人も子供もパジャマで出て来ちゃっててトラック取り囲んでみんなニコニコして買ってた
30年も前のことだけど、よその地域から引っ越してきた自分にはパジャマ軍団が衝撃だったな(当時その辺りではコンビニでもパジャマは割と見かけた)
懐かしい
おでん屋じゃなくて天ぷら売ってるおじいさんが実家の近くにいたなぁ
しかも外歩いて売ってるんじゃなくて家まで来るの
母親が若干嫌がってたw
リヤカーで引いていたとうふ屋が
立ちションしてたの見たことがあるから
あの手のものには偏見がある
自転車の荷台にガラスケースに入ったお団子を乗せて売っているおじさんを
小学校入る前に1度だけ見たことあるわ
今は別のお団子屋さんが軽バンで家の近くに売りに来るけど
自転車にガラスケーススタイルのお団子屋さんにもう一度遭遇したいと思ってる
子供の頃ラーメン屋が来てたな
父が丼持って買いに行ってそれを少し分けてもらうのがおいしかった
懐かしいな
今は風情もなんもない、マルチに騙されたような若者が果物とか和菓子とか売り歩いてるよね
今って屋台村みたいな所以外の流しの屋台ってまだ有るのかな?
おでんは量作った方が美味しくなるから屋台のおでんは全体美味いわ
あったあった!
自分的に思い出深いのは飴細工とホルモン焼きの屋台だな~~
飴細工はリクエストすると目の前で実演してくれたっけ
ホルモン焼きは中学校の近くの市民グラウンドの近くに夕方になると現れて、部活でハラペコになった帰り道に買い食いしてた
めちゃくちゃ美味くて大好きだったけど、誰かが不衛生だのって通報?したらしくて来なくなってしまって悲しかったな……
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